ラディカル・フィールドワーク① 例の論法:客観とか主観とか
1. 例の論法の居心地の悪さ
私は経営学という場で、フィールドワークに基づきて研究報告を行い、論文や書籍を発表してきた。そこで必ずぶち当たる問題が、「客観性ガー」、「一般化ガー」という批判です。
そういう時によくやってしまう反論や執筆戦略が、フィールドワークを通じた解釈を通じて、定量的な研究では見出す事ができなかった変数なりメカニズムなりを発見できて、現象のより深い理解ができる、というものです。程度の差こそあれ、こういう論法で批判をかわしてきた経験がある人も多いのではないでしょうか。
私も意識的にも、無意識的にもそういうことをやってしまう訳ですが、こう答えてしまった時はきまって居心地が悪い。解釈(主義)を持ち出してルール変更を迫っているようで、「変数なりメカニズムなりを発見」とかいって「客観性ガー」、「一般化ガー」がという批判者の認識前提に擦り寄ってもいる。最終的にはどっちつかずの折衷主義で、その場の批判を躱し、査読付き論文をゲットしているだけじゃねーかなという後味の悪さだけが残っていしまう。
フィールドワークを通じた解釈→あらたな変数なりメカニズムの発見→客観性・一般化みたいな論法(以下、例の論法)が通ってしまうのは、おそらく経営学を始めとした社会科学全体の方法論を巡る議論の歴史に形式的に則っているからかな、と考えています。
例えば、経営学だと沼上(2000)の『行為の経営学』のカヴァー法則モデルとメカニズム解明モデルの議論から、行為システム記述の復権を目指す議論なんかは、この論法の延長線上に有るように思えます。
企業家研究の学説史に熱中していた頃、経済学に対する経済史、経済史に対する経営史、更には経営史に対する企業者史の議論が、定性的研究(歴史的方法)が法則定立への貢献や新たな変数の提供の基盤になる、というほぼ同じ論法で主観的な解釈の意義を強調しているのを見て、一時期は私もその論法に染まっていました。
で、この例の論法は一時しのぎにはなるのですが、とにかく居心地が悪い。客観性や一般性へとつなげていくために、歴史学の史料批判とか、エスノメソドロジーやグラウンデッド・セオリー的なマニュアル化された分析手続きを重視していくほどに、フィールドワークがもたらすはずの何かが侵食され無意味化されていく様に感じてしまう。
私からすると、「定量的研究が設定する仮説や変数そのものが、主観のそのものじゃねーか、それを客観的とか一般性があるとか言ってんじゃねーよ」という気持ちにもなる(いわゆる、オントロジカル・ゲリマンダリング論争)。ただ、そこに「私は現場を見てきた、聞いてきた!」と宣言して対抗しようとしても、「それもあなたの主観で切り取っただけですよね」という反論から自爆するだけ。
なぜわざわざ、経営学で現場に出向き、観察し、話を聞き、時には現象そのものに当事者として首までどっぷり浸かるフィールドワークが必要なのか。それを理解するためには、客観―主観の対立を見かけ上回避する、この居心地の悪い論法から脱却しなきゃならないのではないか、と考えています。
2. バレル=モーガン(1979)がまずかったんじゃね?
とりあえず、経営学に議論を限定して主観=客観の対立がどこから生まれてきたのかを考えていくと、有名なバレル=モーガン(1979)の分類枠組みにあるのではないか、と個人的には考えています(図1)。
図1 バレル=モーガン(1979)
注目は、ある種の法則性を見出そうとする研究群のうち、解釈主義的組織論を主観的、機能主義的組織論を客観的に分類していること。例えば機能主義的組織論はコンティンジェンシー理論なんかが代表的に該当すると思うわけですが、「組織は環境に適応する」という同じテーゼでフィールドワークから組織を記述していく解釈主義的組織論もありえます。例えば、そのテーゼの原型にもなったチャンドラーの事業部制の研究がそこに当たりますし、アリソン(1971)の『決定の本質』もそこに位置づけても良いかもしれない。この両者は、主観と客観で対立しているように見えて、フィールドワークを通じた解釈→あらたな変数なりメカニズムの発見→客観性・一般化、という例の論法で結託できてしまいます。
とはいえ、この結託の中にいればフィールドワーク派の居心地が良いかというと
そうでもなく、Deetz(1996)がバレル=モーガン(1979)の主観と客観の対比を批判しているように、支配的地位にある客観=機能主義的組織論のお許しのもとで、主観=解釈主義的組織論が認められるという、なんとも言えない状態です。
この分類の中で私の研究をむりやり位置づけると、ラディカル人間主義になります。例の論法で解釈主義的組織論と機能主義的組織論が結託している現状では、居心地が悪くなるもの当たり前です。しかもバレル=モーガン(1979)の図式に当てはめると、例外事例、極限事例にあえて注目していくことで理論の再考を迫る批判理論に依拠してしまうと、例の論法に回収されてしまうというおまけ付き。
例の論法は非常に強力であるがゆえに、やればやるほど居心地が悪くなり、「疲弊してまでフィールドワークをなんでやってんの?」という結論に陥ってしまう訳です。
3. 客観―主観の対立って、実は錯視じゃないかな
私自身、例の論法でいろんな先生にマウントとられつつ、心のなかで「定量的研究が設定する仮説や変数そのものが、主観のそのものじゃねーか、それを客観的とか一般性があるとか言ってんじゃねーよ」と毒づいて生きて来たわけです。
この客観―主観論争と例の論法を乗り越える方向性として、1990年代以後の経営学における言語論的転回から実践的転回、より具体的には社会構築主義の導入と制度派組織論の展開が一つの解法を示しているのではないかと考えています。
社会的現実が人々のコミュニケーション行為によって構築されていると捉える社会構築主義のもとでは、研究者の語る理論もまた構築された社会的現実である。乱暴に言えば、制度派組織論はそれを制度(institution)と定義し、研究者を含めた人々の権力関係の場として組織=秩序の構築を実践として捉えていきます。
だとすれば、客観―主観の論争と例の論法は、実は研究者側の錯誤でしか無いのではないだろうか。客観とは研究者の方法論的な手続きと学会というシステムが生み出す客体化された主観であり、同時にそのシステムから生み出された客体化された主観=客観=理論は、研究者を含めたすべての人々の間主観的な日常世界を生み出す作用を持つ。
お前は何を言っているんだ、と思われる方も多いかもしれませんが、実はこれ、現在進行系で我々が体験している現象です。
新型コロナウィルスという類型が医学界で生み出されたことにより、「ただの風邪」が「危険な感染症」へと化け、各種の政策からワクチン開発の手続きまで、国や産業レベルまでの大変革が生じている。同時に、この国や産業レベルの大変革に新型コロナウイルスを発見した医学界もまた拘束され、次々に新たな変異種を見つけては感染症対策や新たな医薬品開発につなげていくという、再帰的な関係として現象が構築されています。
研究者が主観的に見出した「新型コロナウイルス」が客体化=客観化されたことで、社会=組織という秩序が生まれる。これは、おそらくは理系―文系というに関係なく、科学・学術に共通する役割であり、量子力学であろうが経済学のMMT、〇〇欲求や○○戦略みたいな経営学の概念まで、等しく不確実な現実に型を与え、一時的に説明可能な状態にしていくことで社会的現実を生み出すという役割を、研究者は担っている。
だとすれば、主観―客観という対立で研究の良し悪しを論争することそのものが不毛であり、社会的現実を生み出す一人のアクターとして研究者を位置づけ直し、そのなかでフィールドワークという方法論を捉え直していくことが、今必要なのではないか、と考えられるわけです。その先に、定量的研究と定性的研究の不毛なマウント取り合い合戦が終結する未来があるのではないでしょうか。
4. 研究者としての足元を見つめ直す
以上、フィールドワークという方法論について、そんなことを考えているわけですが、非常にウケが悪い笑。
いくつか理由があると考えられるのですが、基本的にはこの考え方が研究者にとって「辛い」ということ。
客観主義およびレギュレーション派の人たちにとって、理論=社会的現実であるということが、耐え難い苦痛になりうる。これは自然な反応で、研究者としての社会的立場やステータスは、ある意味で理論と直結しているから。客観的に証明されているから、科学的手続きを踏んでいるから、もっと下世話なことを言ええば学会内で認められている主流の理論であるから、そういうものが、研究者としての立場を担保してしまっている。それを社会的現実=絶対の真理ではないと言ってしまうことは、自身の立場を危うくしかねない訳です。
研究者としての社会的責任ということを考えれば、自身の発表する理論が不可避に生み出す人々の実践が害悪を生み出すのであれば、理論そのものを修正し、時には破棄する必要性もあるかと思います。ただ、それを受け入れるのも難しいという気持ちもわからなくは有りません。そもそも研究者を志している時点で、どこかに真の理論があるというロマンを胸に抱いているわけですから。
しかしながら、理論を司る存在として研究者が否応なく社会的現実の構築に関わってしまっていることには、自覚的であらねばならないと思います。その先に、客観―主観論争と例の論法を克服し、定量的研究もフィールドワークも共に社会に関与していく研究者の実践として認めていく、経営学の新たな展開があると期待しています。
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