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日本神話と比較神話学 第十九回 「世界」を孕む母胎 黄泉神、三姓穴神話、ゴンドワナ型神話群

 ・・・・・・河童もお産をする時には我々人間と同じことです。やはり医者や産婆などの助けを借りてお産をするのです。けれどもお産をするとなると、父親は電話でもかけるやうに母親の生殖器に口をつけ、「お前はこの世界へ生れて来るかどうか、よく考へた上で返事をしろ。」と大きな声で尋ねるのです。・・・・・・

芥川龍之介『河童』より。太字は引用者。

はじめに

 日本神話の創世記において、国土と神々を産んだ(国生み・神生み)偉大なる女神イザナミは、しかし、火の神を生んだ時に受けた火傷がもとで病に伏せ、この世を去ってしまった。(神避り)そこで、それを悲しんだイザナミの夫の男神イザナギは妻を連れ戻すために、死んだ妻を追い黄泉国へと向かった。ところが黄泉国でイザナミはすでにヨモツヘクイ(通説では黄泉国で飲食をすることとされる)をしてしまっていた。そこでイザナミは「あなたと帰ろうと思いますので、しばらく黄泉神と相談いたします。その間、けして私を見ないでください」といった。
 以上は日本神話の「イザナギの黄泉下り」とされる神話の前段である。一般的には、「死んでしまった妻イザナミを連れ帰るためにイザナギは地下にある死後の世界である黄泉国に向かった」とされている。しかし、このような要約は自明ではなく、イザナミが「死んでしまった」ことも、黄泉国が「地下にある」「死後の世界」であることも疑義が提出されている。たとえば国学者・平田篤胤はイザナミは火の神を生んで死んだのではなく「出産の際に隠れた」だけであり、黄泉国は地下にあるのではなく、「」のことであり、「死後の世界ではない」。(『霊の真柱』。篤胤は高天原〔日〕・葦原中つ国〔地上〕・黄泉国〔月〕の三界説を採用している)
 篤胤以外にも、黄泉国が地下世界であることが本文からうかがえないため、黄泉国が地下にあることに否定的な意見もある。「よもつくに」の「よも」は「やま」の転訛であり、山中他界を指すとの考察もある。
ヨモツヘクイ」もまた問題である。「イザナギの黄泉下り」は比較神話学的にはオルフェウス型神話、ギリシア神話の「オルフェウスの冥界訪問」と同型の神話であると考えられている。

愛する妻を失った夫が妻を取り戻すために冥界を訪れる。しかし妻は冥界の食べ物をすでに食べていたため、現世に戻れなくなっていた。そこで、冥界の神との相談の結果、妻の姿を見ないことを条件に夫と妻が現世に戻ることを許される。しかし過失から夫は妻の姿を見てしまい、妻はよみがえることができず、冥界に残ることになる。

オルフェウス型神話

 しかし、日本神話(記紀神話)を見る限り「ヨモツヘクイ」が冥界の食べ物を食べることであるとも、冥界のものを食べたから現世に還れなくなったともされていない。
 さらに「黄泉神」という存在も問題を含んでいる。黄泉国の場面ではじめてその名が言及される。オルフェウス型神話の冥界の神(ギリシア神話では冥界の女王ペルセポネー)に相当する存在のようであるが、日本神話においてはその系譜も全く不明である。「イザナギの黄泉下り」ののち女神イザナミは「黄泉津大神」と称されるようになり、おそらく黄泉神からその地位(黄泉国の主宰神)を引き継いだと思われる。
 平田篤胤は黄泉神の候補として「国之底立神」「豊斟渟神」、特に「黄泉下り」の段では「菊理媛神」「黄泉道守」「黄泉醜女」ではないかと推察している。つまり黄泉神は黄泉国に棲まう神々の一般名詞であり、黄泉国の主宰神であるイザナミは「黄泉津大神」であるという議論である。
 以下、小論ではこの「黄泉神」について、オルフェウス型神話とは別の観点から比較神話学的な考察を行う。

地下からの人間の出現

 アメリカの神話学者のマイケル・ヴィツェルは遺伝子の分布から推定される10万年前の出アフリカ以降の人類の拡散ルートと、神話の分布の対照からアフリカ・インド・オセアニアからオーストラリアに至る古層のゴンドワナ型神話群とユーラシア大陸から南北アメリカ大陸にかけて広がる比較的新しいローラシア型神話群の二類型を提出した。
 ローラシア型神話では世界の始まりは虚空や原初の水界でそこに出現した神によって世界が創造される。つまり世界の創造は無から始まり、そこから「竜退治」や「太陽の解放」の神話が語られる。神々の社会集団の中で、特に太陽神から人間または首長(王)の血統が生まれるとされる。
 一方、ゴンドワナ型神話では世界(空・天体・海・大地など)は既に存在しているものとして語られる。すでに存在している世界の中で人間の出現(木や土から創造されたり、すでに地下に存在している人間が地上に出てくる)や天体の起源(地上から投げられた土器などが天体となる)などが語られる。
 興味深いのはゴンドワナ型神話においては地上に出現する前に人類は地下世界にすでに存在しているという点である。
 フランスの神話学者・レヴィ=ストロースはギリシア神話におけるテーバイ王家にまつわる神話群(テーバイ・サイクル)で、王家に連なる代々の男たちの名前が「ラブダコス」(=「足に障害」(?))、「ライオス」(=「左方」(?))、「オイディプス」(=「腫れた足」(?))と、「大地に足で立つことに不自由を抱えている」ことを示唆していることを指摘し、その背後には「人間は大地から出現した」「大地から出現したばかりの人間うまく歩けない」という神話的思考があったと論じた。
 朝鮮・済州島の梁(良)・高・夫の三姓の由来を語る神話はより、直接的な「人類地中出現神話」である。

「古記にいう、原初に人間なし、三神人が地の穴より湧きでた。長男を良乙那、次男を高乙那、三男を夫乙那といった。三神人は遊猟をして暮らしていたが、ある日、東の海浜に漂着した函を開いてみると、そこに三人の女と家畜と五穀が入っていた。三神人はそれぞれ三人の女と結婚をし、五穀初めて播き、家畜をはじめて飼った。」

『高麗史』の「三姓穴神話」。『世界神話事典』より。太字は引用者。

 上記以外にもむろん、ゴンドワナ型の人類出現神話はいくつか紹介されている。以下は日本の人類学者・後藤明による。

 中央アフリカの多くの事例では、人間は瓢箪あるいは葦から生まれ出たとされる。ツォンガ族では鳥の神ンワリが肥沃な川岸で、嘴を使って葦原の中に穴を空け、その穴の中に卵を置いた。やがてそこから生えてきた葦が裂けて最初の人間が生まれ出た。彼は草と泥で小屋を作って住んでいたが、やがて女性と出会い、たくさんの強い足をもつ子供を作った。
 ナミビアのヘレロ族の人々は、最初の人間と家畜は草原深くに生えている木から下りてきたとする。一方サンの人々は、地面の穴から出てきたとする。西アフリカのアシャンティ族でも最初の人間と動物は地面の深い穴から出てきたとされる。ある夜、虫が地面に穴を掘ると、そこから犬や男女、誇り高きヒョウ(神聖な動物)が出てきた。・・・・・・

p115『世界神話学入門』後藤明著・講談社現代新書。太字は引用者。

 人間は家畜を連れたすでに完成された(文化を持った)姿で大地より出現する。「足萎え(未成熟)」により大地とのつながりを示唆するテーバイ王家の神話群を人類の「土からの出生」の神話とすれば、上記の済州島の神話やアフリカの民族の神話は正しく人間の「土からの出現」の神話といえるだろう。
 人間は脳の容量が大きくなったため、胎盤が耐え切れず、胎児の成長に対し出産が早くなった。そのため、人類は他の動物に比べ子供が自力で行動できる時期が遅いのだという説がある。(生理的早産説)いいかえれば人間は他の動物と比較して不完全な姿で生まれてくる
 大地はしばしば神話においては女神、大地母神として現れ、神々の母となる。日本神話の神々の母イザナミのように国土や神々を産む母胎とは、世界を孕む母胎であり、それはいってしまえば世界そのものである。人間の母体が胎児を育成するように、世界そのものである大地母神の母体(地下世界)は内部で人間・家畜から国土まで生育し地上へと送り出す、というのが「人類の地下からの出現」の神話の背後にある世界観ではないだろうか。
 神話では人間は本来不死であったが、のちに死ぬようになるとされる。同様に神話における完全な状態での人間の出現(完全な母胎)は、現在の人間の不完全な状態での出生(不完全な母胎)と対比されるだろう。

武装して生まれる神々

 世界の神話では「武装して生まれる神」が語られる。
 もっとも著名なのはギリシア神話の女神アテナの誕生だろう。

打倒した父クロノスより、知恵の女神メティスとの間から自分の王位を奪う子が生まれると予言されたオリンポスの主神ゼウスは妊娠したメティスを腹に呑み込んだ。胎児はゼウスの中で成長し、ゼウスがヘパイトスに頭を割らせるとそこから完全に武装した女神アテナが誕生した

 同じくギリシア神話ではテーバイ王家の祖カドモスが打ち殺した竜の歯を大地に蒔くとスパルトイと呼ばれる武装した男たちが生まれた。
 アステカ神話でも同様の神話がみられる。

軍神ウィツィロポチトリは女神コアトリクエの息子で月神コヨルシャウキの弟である。コアトリクエがコアテペック山で羽毛の珠を拾って妊娠したが、それに面目を潰されたと考えたコアトリクエの子たちは母を殺害しようとした。しかしコアテペック山で完全に武装したウィツィロポチトリが誕生し、「トルコ石の蛇」を使ってコヨルシャウキを八つ裂きにし兄弟の大半を滅ぼした。

 以下はミャンマー西端のナガ族の神話である。

洪水を生き残った兄妹から生まれた瓢箪を割ると中から武装したナガ族の諸部族の祖先が現れた

 大地(大地母神)が完成された人間を生み出すように、女神(あるいはゼウスあるいは瓢箪)が武装した神々を生み出す。これは同系統の神話であろう。

黄泉神考

 大地の下の世界が本来、世界を孕む大地母神の子宮であったとするならば、そこは死後の世界どころか、出生前の世界でなければならない。そこから世界が生まれてくる世界とは、すでに一つの世界であり、人間や動物や、天体すらも孕まれていなければならないだろう。
 人間の起源について、先にふれたゴンドワナ型神話の「大地からの人間の出現」に対し、ローラシア型神話では「地下や洞窟からの太陽の解放」と「太陽神の子孫が人間の祖先となる」神話が語られる。「地下から出現した太陽から人間の祖先が生まれる」とは、結局のところ、「大地からの人間の出現」と同じことではないだろうか。(太陽こそが「最初の人間」であると考えてもよい)日本神話(古事記)でも太陽神は父神が黄泉国から出てきた際に生まれている。
 黄泉国とは国土と万物の神々を産んだ偉大な大地母神イザナミの母胎としての地下世界なのだろう。そこに棲む「黄泉神」(黄泉神々)とはまだ母胎から離れない神々であり、「ヨモツヘクイ」とは妊娠の準備に入る(入っている)ということを指すのではないか。地上に戻るならば、母神イザナミは子どもたち(黄泉神)にともに地上へ出るかと相談しなければならないだろう。(「かれ還りなむを。しまらく黄泉神と論はむ。」古事記・武田祐吉校注)
(以上の議論は、岩崎せんりゅう『星座と干支』[星天講]を参考にしたものである。)

参考文献

工事中。

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