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日本神話と比較神話学 第二回 良い、強い、恵み深い祖霊たち 大物主、ミシャグチ、フラワシ

0 はじめに


  大和の国の三輪山にまつられる大物主神は日本神話(記紀神話)に様々な形で現れ王権に強い影響力を持つが、その現れの多様さから一貫した性格を定めがたい。

(1)天上または海上から現れ義兄弟となり大国主神の国造り(国土造営)を助けた少彦名神が常世(異界)に去ってしまい、大国主神が「いかにしてこれから国造りをしていけばいいのか」と嘆いている時に、海の向こうから光り輝き現れ「自分を三輪山にまつれば国造りはうまくいく」と告げる。(別伝ではこの際に大国主神の「幸魂奇魂」(分身?)であると自称している)

(2)丹塗り矢に姿を変えた大物主神(または鰐に姿を変えた大国主神の息子・事代主神)が女性に産ませた子供がのちに神武天皇の后となった。

(3)崇神天皇の時代、国中で疫病が流行ったとき大物主神は夢に現れ、大物主神の子孫の大田田根子(大神(おおみわ)氏の祖)に命じて大物主神を祀れば疫病は収まると告げた。

(4)大物主神の妻となった女性が大物主神が蛇の姿で現れたことに驚き、箸で陰所を突いて亡くなったので、その墓は「箸墓」と呼ばれた。


 上記の、大物主神が現れる主要な神話・説話より、大国主神の守護霊、太陽神、山神、蛇神、モノ(精霊)の王あるいは大和王権の大和進出以前に大和地方で信仰されていた神々が統合された神格など様々な推定がなされている。

 本論では大物主神の神格について三輪山での信仰が東国の諏訪におけるミシャグチ神の信仰に類似していること、さらにその類似がインド=ヨーロッパ系統の民族に見られる戦士集団、より広くはユーラシアを外れ日本列島を含む太平洋圏にまで広がりを見せる男性結社の習俗・観念にかかわっていることを論じる。結論から言えば上記より大物主神は「御幸奇(ミシャグチ)神」と称されうる、司法と祭祀・戦闘・豊穣という三つの領域を統合する祖霊集団の神格化とみるべきだと思われる。

1 ミシャグチの名義

 ミシャグチ神とは中部地方を中心に近畿から関東まで広くみられる民間信仰の神格である。日本の民族学者の柳田国男が山中笑との往復書簡をまとめた著作「石神問答」で取り上げたことで広く知られる神格であるが、表記や信仰内容もはっきりせず、石神や道祖神・荒神・地蔵などの信仰と混同されその性格は明らかではない。
 研究者によると多くは小さな社で祀られ石棒や石皿を御神体(神が宿ると信じられる器物)とすることが多い。「ミシャグチ神(またはシャグジ、ミは尊敬の接頭辞)」の表記は「左宮司」「社宮司」「社宮神」「左久神」「作神」「左口」「社口大明神」「佐護神」「石護神」「石神」「釋護子」「遮愚」「遮軍神」「三宮神」「三狐神」「山護神」など、百を超える宛字があるといわれる。
 表記があまりにも多様であることから文字が広まる前に口伝の段階で広域に広まったこと、また御神体とされることが多い石棒が縄文時代の遺跡から出土するものと同様のものであるように思われることから、極めて古い信仰形態を遺した神格・信仰であると考えられている。
 また各地の民間信仰との関連は明らかではないが、全国に広がる諏訪神社(祭神・タケミナカタの神)の中心の諏訪地方の諏訪大社では、ミシャグチ神こそがタケミナカタの神を祖とする諏訪氏が到来する以前には崇拝されていたのではないかと考える研究者がいる。現在でも諏訪地方にはミシャグチ神を祀る社が多く残る。
 さて、タケミナカタの神は大国主の子供であり、天津神との国譲りの際にタケミカヅチの神との争いに負け出雲を追われ諏訪湖にとどまることを条件に許しを請うたと「古事記」で語られている。
 大物主神の三輪山信仰と比較すると、大国主の子タケミナカタの神の子孫と称する諏訪氏は大国主神の守護霊・大物主神または同じく大国主神の子である事代主神の子孫の大神氏に対応する。大物主は蛇体として現れたが、諏訪大社の冬祭りに行われる「御室神事」では神事を行う竪穴式住居の中に大きな藁の蛇を搬入するという。また諏訪地方には地底の国に入り蛇の姿となった甲賀三郎の伝説がある。
 これらのことから一部研究者は三輪山と諏訪地方の信仰の同型性を指摘している。
 以上を踏まえ、ミシャグチ神の名義について考察を行う。
 上述の柳田国男はミシャグチ神の名義につき「サカ(坂)」「ソコ(底)」「サキ(岬)」「サカイ(堺)」などの語と同源であると推察している。(「ミ」は尊敬の接頭辞、「チ」は神霊の意)シャクジは中世では「宿神」「守公神」と呼ばれる「夙の者」(被差別階級の漂白民)あるいは芸能者が祀っていた神であるという。(漂泊者の集落の「宿」は人里を外れた「サカ」にあった)ミシャグチ神に関する諸説は柳田国男のこの言語学的考察を踏まえている。これはミシャグチ神が記紀などの古典に現れない神格であるため、ほかの神格との比較によって名義を考察することができないという方法論的限界のためだと思われる。
 ただ上記で論じたようにミシャグチ神あるいは諏訪信仰は三輪山の信仰に近しいことから、柳田の議論が記紀の記述に結びつかないことは問題がある。
 記紀神話では大物主神は大国主神に対して大国主神の「幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)」であると称している。そこよりミシャグチすなわち<シャクチ・シャクシ・シャクジ>とは「幸魂奇魂」を縮めた「さき・くし」または「さち・くし」が「さ・くし」へと変化したものではないかと推察される。(「幸魂奇魂」が修辞的に「さき・くし」を引き延ばしたものであるかもしれない)すなわち大物主神はミシャグチ神(御幸奇神)である。
 大物主神とミシャグチ神の共通する性格として(F1)守護霊(F2)荒ぶる神霊(F3)生殖にかかわる豊穣神としての性質がみられる。そしてこれは古代社会に広くみられる、異界より来訪する祖霊集団の性質でもある。

2 フラワシと男性結社

 ヨーロッパの多くの地域ではワイルドハントと呼ばれる伝承が残っている。死霊たちが猟師の一団(ワイルドハント)となって空や大地を移動し、目撃したものに不幸をもたらすという。
 これはインド=ヨーロッパ系統の民族の分岐以前の信仰にさかのぼる伝承だと考えられている。北欧神話の主神オーディンは戦死者を居城ヴァルハラに集めエインヘリヤル(死せる戦士たち)という軍団にして、来るべき巨人との戦争に備えている。インドのヴェーダ神話ではマルト神群というルドラ神の荒々しい息子たちが戦神でもあるインドラに従者として仕えている。これらの戦神に率いられた戦士集団は荒ぶる亡霊の一団ワイルドハントとして民間伝承に現れている。
 フランスの神話学者デュメジルやスウェーデンのイラン学者ヴィカンデルはこれらの神々が原インド=ヨーロッパ語族の社会にあった戦士集団(戦神をあがめる兄弟同盟)に由来していると考察している。
 他方で日本の民族学者の岡正雄が「異人その他」で論じた日本を含む太平洋の島々に見られる男性たちの秘密結社がある。日本では秋田県のナマハゲのような、祭り(行事)に怪物(祖霊)の姿で現れる男性たちの結社(若者組)がその例となる。彼らもまた荒々しい神々(の扮装をした集団)であるが、祖先祭祀や芸能に関わるなど、デュメジルの論ずる原インド=ヨーロッパ語族の神話に現れる三機能、《祭祀・戦闘・豊穣》の戦闘以外の二つに関わっている。
 これは南洋の男性結社が、中央ユーラシア起源の男性結社と異なっているからでも、また本来は戦士結社であった集団が祭祀・豊穣の機能を後から持つようになったわけでもないと思われる。子細に見ればマルト神群にも霊感や豊穣に関わる性質がみられる。男性結社の神々は本来は祭祀・戦闘・豊穣の三領域にわたる神格であった。

 イラン神話(ゾロアスター教の創世神話)に現れる聖霊フラワシはこのような世界的な男性結社の、より古態を残している。フラワシはゾロアスター教の善神アフラ・マズダが悪神アングラ・マンユとの戦う際に支援する。それはフラワシによるアフラ・マズダの世界創造に対する援助でもある。またフラワシは祖霊・守護霊であり、死者のフラワシは年の終わりに家々に戻ってくる。フラワシの三領域にまたがる性格(フラワシは「良い、強い、恵み深い」と呼び掛けられる)からデュメジルはイラン神話において三機能を統合する神格としてフラワシを挙げている。(ただしフラワシはゾロアスター教の聖典アヴェスターでは女性格となっており、オーディンに仕え死者を導く乙女ヴァルキュリアに相当するかもしれない。デュメジルは他のインド=ヨーロッパ語族の神話で三機能を統合する存在として大女神を挙げている。ただフラワシのシンボルとされている図像は男性である)

3 大物主とフラワシ

 大物主神は守護霊(大国主神の「幸魂奇魂」)であり、荒ぶる神(崇神天皇の時代の天災・疫病)で豊穣の神(女性をはらませる)であるという三領域にわたる性格を有する。また「天の下造らしし大神」と出雲国風土記で称される大国主神の国土創造(国造り)を補佐する。(アフラ・マズダはフラワシの助けがなければ世界を創造できなかった)また大物主神は海上をすなわち空を飛んで現れるが、ワイルドハントも空中を通過する。大物主神が海を照らすようにマルト神群も黄金の装飾品を身に着けている。
 他方、ミシャグチ神は諏訪大社の神事の際に神使という役職に降りる(憑依する)ことで祭祀に関わる。また祟りをなす荒ぶる神だともされる。中世の伝説では秦河勝は能楽の神である翁(宿神=ミシャグチ神)の化身であり坂越(ミシャグチ神に関わる地名)で祟りを起こしたので、大荒神と呼ばれたという。(「明宿集」)
 これらの神格はフラワシそして男性結社の神々の「良い、強い、恵み深き」という性格と一致している。以上の考察によって、大物主神そしてミシャグチ神の神格を明らかにできたと思われる。最後に上記を踏まえた発展的な考察によって議論を終えたい。

4 おわりに

 かつて天上に十または複数の太陽が一度に現れ地上を荒らしたので、英雄が弓矢で一つの太陽を残して他の太陽を射抜いた。だから現在は太陽は一つしかないと語る、いわゆる射日神話が東アジアを中心にアメリカ大陸にまで広まっている。中国では複数の太陽は羲和という女神の息子たちだったという。羲和は息子の太陽たちが天を巡って疲れると扶桑樹という巨木のある湯谷という場所で湯浴みさせる。
 この光を放ち天空を進む、荒々しい男神たちの神話は、あるいは男性結社の神話の痕跡かもしれない。
 太陽たちが扶桑樹の下に降りるように、ミシャグジ神は湛(たたえ)と呼ばれる木から地上に降りるので、ミシャグチ神を祀る小祠は背後に大きな木があることが多いという。祠にまつられる石棒と皿は樹と泉を表すともとれる。(あるいは石棒と皿は荒ぶる神々の通過を守る道祖神の陰陽石かもしれない)

参考文献・注釈

工事中

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