見出し画像

日本神話と比較神話学 第一回 天地闊歩の神 アジスキタカヒコネとヴィシュヌ

0 はじめに


「天なるや 弟棚機の
 うながせる 玉の御統、
 御統に あな玉はや。
 み谷 二わたらす
 阿遲志貴高日子根の神ぞ」

(武田祐吉注釈校訂『古事記』より)

 アジスキタカヒコネは日本神話の中でも謎の多い神として研究者の間で知られている。古事記では「迦毛大御神」という、高天の原の主催神である天照大御神を除けば他の神格には見られない「大御神」の号で称えられながら、その性格は農耕神または刀剣の神(名前「スキ=鋤(土地の開墾のための農耕器具)」などより)、蛇神・雷神(「み谷二わたらす(三つの谷の二倍にわたる)」という大蛇または雷光を思わせる描写などより)など多岐に推察され学術的な意味では定説に至っていない。

 本論では比較神話学的な議論によりアジスキタカヒコネの神格をインド神話にあらわれるヒンドゥー教の主神の一柱のヴィシュヌ、とくにリグ・ヴェーダ時代のヴィシュヌ神に比定して論じる。

1 ヴィシュヌとヴィーザル


 フランスの神話学者ジョルジュ・デュメジルは、インド=ヨーロッパ系統の民族に残る諸神話の比較神話学的な議論によって原インド=ヨーロッパ語族に共通する神話的世界観に関する議論を体系的に展開した。その議論の応用として、彼はインド神話の神格ヴィシュヌの性格をゲルマン人の神話(北欧神話)のマイナーな神格ヴィーザルとの比較において明快に論じて見せた。
 その議論によれば、ヴィシュヌとヴィーザルの神格はインド神話と北欧神話に分岐する以前の原インド=ヨーロッパ語族にさかぼり「空間の司り手の神」という機能を有する。
 ヒンドゥー教の主神ヴィシュヌは十の化身をもち世に現れるが、その第五の化身「矮人ヴァーマナ」の物語はより後世の文献(バガヴァータ・プラーナなど)によるものでありながら、ヴェーダ時代あるいはそれ以前のヴィシュヌの性格を残しているという。

 ヴィローチャナの息子のアスラ(悪魔)王バリは神々の王インドラをはじめとする神々を打ち負かし天上・天空・地上の三界を支配した。三界を追放された神々の嘆きを聞いたヴィシュヌは神々の母アディティの胎よりヴァーマナとして生れ出た。徳高いバリの治世を讃える祭りの場に乞食としてヴァーマナはバリの前に現れ、三歩分の土地を王バリに求めた。助言者の忠告にもかかわらず寛大にもバリが少年ヴァーマナの願いを受け入れるとたちまちヴァーマナは巨大な姿となる。その一歩目は地上を二歩目は天空を、そして三歩目は天上を踏んだ。バリはヴィシュヌが自らの増上をいさめたことを悟りヴィシュヌを讃え眷属とともに地下へと去り、三界に神々の治世が戻った。

 リグ・ヴェーダのヴィシュヌの讃歌ではより端的に、「彼の大いなる[三]歩の中に一切万物は安住す」(RG1.154)とされる。一方、北欧神話における主要な神々が邪悪な巨人との戦争で死んでゆく「神々の終末」(ラグナロク)においてヴィーザルの活躍が現れる。

 ラグナロクにおいて束縛から解放された天地を吞み込む狼フェンリルはついに至高神オーディンを喰らう。しかしオーディンの子ヴィーザルが片足でフェンリル狼の下顎を踏みつけ、片手で上顎をつかみ口を引き裂き父の仇を討つ。

 天地を覆う狼の口を踏みつけ引き裂き世界を救うことは、アスラ族バリの地上・天空・天上の支配をその三歩で覆すことに相当する。「両者は宇宙的危機が訪れる時に介入し、悪の力が一時的勝利を収めた後の世界を『よく』再建し、神々を復活させる」、「そして両者は歩みという同一手段――ヴィシュヌの三歩は全てを充たし、ヴィーザルの一歩は他の事共を可能にする――も共有する」とデュメジルは論じる。
 その他、両者の神名の語源的共通性などの諸事項をデュメジルは詳細に指摘する。
 以上の議論を踏まえ、アジスキタカヒコネの神格の検討に移ろう。

2 アジスキタカヒコネとヴィシュヌ

 アジスキタカヒコネの主要な活躍はいわゆる「国譲り」神話の一節に現れる。

 天照大御神は地上の支配者である大国主神に替わって自分の子のオシホミミに地上を統治させるため、まずは荒ぶる国津神(地上の神々)を平定しようとする。天照大御神ら天津神(天上の神々)はオモイカネの助言を受けオシホミミの弟アメノホヒを派遣するがアメノホヒは大国主神におもねり地上から戻らなかった。そこで次に天津国魂の子、天若日子を派遣した。しかし大国主神の娘をめとり地上の支配権を得ようとした天若日子は高天の原からの使者の雉を射た矢の、返し矢(呪術的に射返す矢)で亡くなる。
 天の若日子の死を受け天から降りてきた彼の家族が喪屋(死体を納める仮小屋)を建て葬儀を行っているところに、彼の親友であるアジスキタカヒコネが現れた。アジスキタカヒコネは天若日子にそっくりな外見であったため天若日子が生き返ったと思った彼の家族にとりすがれるが、それに怒ったアジスキタカヒコネは喪屋を刀で切り伏せ蹴り飛ばして立ち去ってしまう。蹴とばされた喪屋は美濃国の喪山となった。残されたアジスキタカヒコネの妹は歌でアジスキタカヒコネを讃えた。

 アジスキタカヒコネを讃える歌は冒頭に引用したものである。
 この神話ののちに、高天の原(天上界)より第三の使者であるタケミカヅチが派遣され、大国主神をはじめとした国津神との交渉により地上の支配権は天照大御神の子孫に大国主神から譲られることとなる。
 これがアジスキタカヒコネの活躍が描かれる主要な神話である。
 しかしこの奇妙な神話は諸家の関心をひき、イギリスの人類学者フレイザーの王殺し神話の議論を踏まえ、死んだ天若日子はアジスキタカヒコネとして復活したなどと論ずる向きもある。「大御神」号を有する問題など、アジスキタカヒコネの神話(の奇妙さ)は彼を主役とする王権神話を歪曲した痕跡を残しているためと考えられる傾向が一部にある。
 ここでは前節までの比較神話学的議論より別の文脈からこの神話を論じる。
 天若日子の神話が天津神と国津神の国譲りの交渉の中間に置かれ、その次の使者によって国譲りの交渉が進展することから、アジスキタカヒコネの神話はその転換点にあると考えられる。そしてその中心は喪屋を足で「蹴とばした」ことにある。(「御佩の十掬の劒を拔きて、その喪屋を切り伏せ、足もちて蹶ゑ離ち遣りき」)
 このアジスキタカヒコネの「蹴り」は、アスラの支配から神々に地上・天空・天上を取り戻す「三歩」や、フェンリル狼の口を引き裂き神々の世界の破局から再生への転換点となる「踏みつけ」と同じ機能を神話において果たしている。
 さらに彼の刀の名は「大量・大葉刈」(おおはかり)というと説明される。これはヴィシュヌが世界を「測る」神とされることと一致する。「われ今宣【の】らん、ヴィシュヌの勲業【いさおし】を。彼は地界の領域を測【はか】れり、最高の居所(天界)を支えたり、歩幅広き[神〕は三重に闊歩して」(RG1.154)
 一蹴りで喪屋を美濃までとばし、「み谷二わたらす」アジスキタカヒコネは、むろん「歩幅広き」神である。加えるとヴィシュヌはヴリトラハン(障害を打ち破るもの)インドラの友であり、(バリは来世で神々の王インドラとなることが予言されている)アジスキタカヒコネは地上を支配しようとした天若日子の親友である。ヴィーザルは「寡黙なアース(神)」であるが、アジスキタカヒコネは幼い時に言葉を発さなかった。(「辞通はざりき」仁多郡、三津郷。出雲国風土記)
 一方でアジスキタカヒコネの神名にはヴィシュヌ、ヴィーザルにみられるような語源的一致は見ることができない。また、上記で見たような諸神話の神格の性質の一致が、大林太良・吉田敦彦らによる中央アジアの騎馬民族、朝鮮半島を経由してのインド=ヨーロッパ系統の神話の日本列島(の支配層)への流入という仮説の一例であるか本論の範囲を超えている。

おわりに


 小論はアジスキタカヒコネという神格の性格を明らかにするにあたり、神話学者デュメジルの議論を用い、当神格をインド神話のヴィシュヌ、北欧神話のヴィーザルをあわせ、比較神話学的手法の「比較の第三項」とした。
 先学の研究からも、神話の伝播説を受け入れるか否かにかかわらず、このような日本神話とユーラシア大陸(あるいは新大陸まで)に広がる各地域の神話(いわゆる世界神話)の体系的な類似性は否定できないように思われる。


参考文献

(工事中)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?