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日々のつぶやき:ふきのとうを摘んだ日のこと。
「フキノトウ見つけたらとっておいて。」
と母に言われて、注意深く観察しながら犬のさんぽをしていると、鮮やかなきみどり色のフキノトウを一本だけ発見した。
ちぎって匂いをかいでみると、ほんのりフキノトウ特有のにおいがする。
昨日の夕方に、突然フキノトウを摘みにそとへかけだしていった母の気持ちがすこしだけわかるような気持ちがした。
特別においしいわけではないし、特有のかおりがクセになる、ワケでもない。
だけどそんな昨日の春いちばんのフキノトウのてんぷらは、なぜかかとてもおいしかった。
かむとひろがるフキノトウ特有のクセにならないあのかおりに「幸福」という二文字が頭のなかにうかんだ・・・
子どもの頃はフキノトウのあのかおりに無感情だったのに・・・
おいしくもまずくもないものをなんでわざわざ食べるんだろうと思っていたのに・・・
フキノトウがおいしいんじゃなくて、摘んできたばっかりということが、春のおとずれということが、おいしかった。
旬なもののおいしさっていうのは結局、脳の錯覚なんじゃないかと思う。
旬は味で感じることができないから、なんとなくイメージで、木からそのままとったミカンがすこしすっぱくても、畑からとったばかりの大根がからくても、おいしさという許容範囲のなかにおさまってしまうのではないかと思ったりした。
それでも旬のものを食べるとなんとなく良いものを食べたような、体にいいものを摂取したような、そんなきぶんになる。
「わたしは今、旬のものを食べているんだ。」という感覚が、こころもみたしている。
この貴重ないっぽんのフキノトウも、きっと幸福をもたらしてくれるのだろう。。
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