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人は与えられなかった物のために努力をする

産前休暇に入ってから約1ヶ月、
家の断捨離・整理・掃除の仕組み化
の3点を夢中でやった。

ワーママ時代は目をつぶっていた
・サイズアウトした子供服で溢れた息子のクローゼット
・夫の服が積み上がっているぐちゃぐちゃのクローゼット
・ダンボールが置いてある書斎
・履いていない靴で溢れているSIC
・何が入っているのか分からないパントリー
・ごちゃついているキッチン棚・・・
これらを一箇所ずつ綺麗にしたことで、劇的に家族全員のQOLが向上したと思う。

必要な物がすぐに見つかること、
持っているものが整理された状態で並んでいること、
部屋がすっきりと清潔な状態であることは、
風水で語られるまでもなく人を心地よい気分にさせてくれるし、「今ある物で何をしよう?」とクリエイティブな気持ちにさせてくれる。

一番変化があったのが息子で、
綺麗な部屋を喜んでくれただけでなく
ものすごいお片付け好き男子になった笑

まず朝起きたら彼なりのベッドメイクを行い、自由時間があれば各部屋の見回りをする。
そして、物がごちゃっとしている場所があると綺麗に並べてくれる。(もちろん、4歳なので「そこに入れる!?」というお片付けをしてくれることも多々あるけれど笑)

きっと、これまで部屋が汚いことにストレスを感じていたのだろうなぁと申し訳なく思うと同時に、この変化を知ったからこそお掃除の楽しさや意味に気づいたのかも?なんて都合のいい解釈をしている私もいる。

人間、当たり前のように与えられているものに意味を見出すのは難しい。
それは綺麗な部屋だけでなく、学習環境、人との出会い、美味しい食事、心地よい人間関係なども同じだ。
「ない」を知っていると、いかに「ある」が有難いものか分かり感謝の心、そのために努力する気持ちが生まれる。

そう考えると、気持ち少なめに与える(orない状態も与える)というのは結構大事なのではないか…なんて思う。
足りない部分を埋めていくのが人生の努力のしどころであり、醍醐味だ。

与えなかった結果、努力もしなかったら・・?
それは、その子にとって本当に大事ではないものだったということ。
親にとってコントロール外の部分だ。

教育は足し算だけが正解ではない。
引き算が結果的に足し算や掛け算になることもあるし、足し算をしているつもりが0を足しているだけだったり、気がつけばマイナスの掛け算になっている場合だってある。
そして、それは子供ごとの特性による物であり方程式は存在しない。

うーん、子育てってやっぱり面白い。
このケミストリーを興味深く観察しながら、息子にとっての適量適法を探っていく子育てがしたいなぁ。

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