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専業主婦の先に私がいる

私はずっと「専業主婦」というものに
嫌悪感を抱いていた。


深く考えもせずに
経済力という人生の手綱を他人に渡し、

必然的に結婚後立場が弱くなり、
夫や環境の文句を飽きもせずに話す。

その愚痴を話す同じ口で
自分と同じように「職業:専業主婦」
を念頭に置いた教育を娘に行う
(息子にはさせないお手伝いを娘にはさせるなど)

娘に子供がうまれ共働きを始めると、
専業主婦的ママができていないことに
憐れみの目や非難の言葉をかけてくる


娘であるが故に、専業主婦が許せなかったのだと思う。

あぁ、なぜ私は男に産まれなかったのか。
男だったらこんな面倒くさいことに巻き込まれなかったのに。
母と同じ女性という属性に生まれたせいで、私はとっても損をしている。

このドス黒い気持ちは長年私の心の澱だった。

でも、一歩引いて考えてみると、
私たちの専業主婦ママは同時に
娘たちに学歴も与えてくれていた。

息子と同じように受験をさせ、
教育費をかけ、就活までは期待をしてくれた。
(就職するとまた専業主婦的幸せ論が顔を出すのだけれど)

この母親のダブスタも私たちの苦しみの一因ではあるが、
そのおかげで学歴や職歴を手にした女性も多い。

そしてその女性たちが今、
新しい女性の生き方を悩みながら切り開いている。


専業主婦ママの先に、
私たちがいるのだ。

時代の違いがあるから、
私たちが100%満足できるような
今の時代の女性に合った育てられ方ではなかったかもしれない。

でも、次につながる武器を持たせてくれた。
私たちはそのバトンを持って、今の時代を新しく生きる。
それでいいのだと思う。

完璧な存在であるはずの母親への一種の諦め。
自分の人生からの切り離し。
それができた時、
私たち娘は本当の意味で母に感謝ができる。

母は母。娘は娘。
それを母も娘も受け入れる。

幼い頃からフルコミットメントで行う
教育プロジェクトの総仕上げは切り離すこと。

寂しい。苦しい。
でも、かわいい子には旅をさせよ。
専業主婦で子育てにフルコミットしてきた
お母さんたちには、これが一番辛い教育かもしれないね。

でも、終わりがあることで全てがなくなるわけじゃない。
だって、専業主婦ママの先に私たちがいる。

そこから先は、そんな私たちと世間のケミストリーを
ゆっくり鑑賞し、お楽しみください。

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