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Gypsy, monk, old friend. (1)ジプシー

2024年初めての記事にようやく着手。少しぼうっとしていたら、いつの間にか3月になっていました・・。
タイトルは、年始以来取り組み、また接したことに関連する単語たち。

最初のキーワードはGypsy。
よんでジプシー。ツィガーヌ。ロマ人、ジタン、放浪の民。

1月に私の現職場であるベルギー国立管と、ソリストとしてモーリス・ラヴェル作曲『ツィガーヌ』を演奏する機会に恵まれたのですが、その際に、どういう心持ちで演奏するのが自分としてしっくりいくだろう、と探るなかで調べていった単語。

『ツィガーヌ』は前半はヴァイオリンの独奏(曲の半分ほどの長さ。約4分の長いカデンツァです)。その後、ハンガリーの民族楽器であるツィンバロンの代わりとしてハープのミステリアスな導入があり、それを契機にオーケストラが加わります。
後半はヴァリエーション形式で、特にクラリネット・ソロなどの旋律が印象的にソロと絡み合います。
冒頭は、せっかくですので私自身の演奏でご紹介します・・!
(私のインスタグラムより。リハーサルを撮りました)


作曲者のモーリス・ラヴェルはこの作品を書く前に、ハンガリーの作曲家ベラ・バルトークと女流ヴァイオリニストのジェリー・ダリャーニの演奏に接します。
(日本語で検索してもなかなか出てこないかも・・Jelly d’Aranyi。ダリャーニ姉妹といえば、当時有名なヴァイオリニスト姉妹でした)

バルトーク作曲ヴァイオリン・ソナタ1番(1922年)だったのですが、そのとき聴いた彼女の演奏に惚れ込んだのがツィガーヌ作曲のきっかけになりました。
ハンガリー民謡の採集を実地で、自ら足を使って行ったバルトークの作曲と、ジェリーの演奏から薫る東欧ならではの自由さ、旋律の歌い方、演奏解釈を聴いたことが、ツィガーヌ=ジプシー音楽の着想へ繋がったのでしょう。
(ちなみにラヴェルの室内楽作品でよく演奏される『ヴァイオリンとチェロのためのデュオ』も、同じ文脈で作曲されています。)

ジェリー・ダリャーニの演奏によるハンガリー舞曲などの演奏が残っています。古い録音なので想像することしかできませんが、ここからも伝わってくるのは、ジェリーの卓越した技巧は言わずもがな、深みのある女声アルトのような音色(主観と憶測のうえです・・)、自由なリズム感、
そして、限りなく自然でありながら独特な自由さのある、旋律の捉え方。

(こんな風に100年前の録音が手軽に聴けるとは・・テクノロジー素晴らしい!)

ジプシーの人々を追ったドキュメンタリーも鑑賞。私が観たのは1970年代のフランスのものです。
酒場でフィドルやギターを弾きながら皆で楽しむ様子も見られます。

(ジプシーといっても色々な民族(?)に分かれており、それぞれに違った暮らし方をしているらしいですが、今回そこまで詳細に踏み込むことはしませんでした。というかそんなに調べてもいません・・。
とりあえず彼らのフランス語は一様に訛りが強く、私にはさっぱり・・というところも多々😅)

いくつかのドキュメンタリーを見ましたが、そのうちの一つを載せておきます。ご興味あれば。

このなかではもちろん比較的現代のジプシーの人々が映されていました(とはいえまだまだインターネットも普及していない頃です)。

そのなかで、特に印象的だったフレーズをふたつご紹介します。

ひとつは、ある男女が出自について話したこと。
男「研究者たちは僕たちがインドの由来だっていうらしいんだが、僕個人としてはインドから来たとは思っていない。どちらかというと、イスラエルの人びとと近いかな。僕はたくさん聖書を読んだが、そのなかに書かれていること ー旧約聖書のことだけどー と、僕たちの慣習に共通することが多いんだ。・・僕たちの民族はあちこちにいるからね。」
女「もちろん私たちは世界中あちこちに散らばっている。とはいってもこの文化、つまり、私たちの出自がわからないというのはいったいどうしたものなのかしら。私たちの起源がどこにあるのかが、分からないなんて。」
男「そういうことさ。不明なんだよ。僕たちのはっきりした出自なんて、わからないんだ。」

そしてもう一つは、三人の子供たちに学校について尋ねたときの会話と、彼らの表情。
「インタビュアー:君は、学校に行っている。というと、読み書きはできるんだね?(ジプシーの人たちは基本的に口伝で言葉を学ぶようです)
少女:うん。
インタビュアー:友達とはどこで遊ぶの?家で?
子ども:ううん、家じゃなくて・・一緒にショッピング行ったりとか、そういう感じ。
インタビュアー:友達の家とか、行ったりしないの?
子ども:行かない。
インタビュアー:行きたくないの?
子ども:行きたくない。
インタビュアー:(一緒にいた他のジプシー系少女に)君は?友達の家とか、行きたくないの?(その子もNonと答える)なんで?
子ども:だって・・行きたくないもの。」

ジプシーとしての自由で、場所や周囲の人びとに囚われない生き方。それを愛して、誇りに思っている。
一方で、定住民には理解されないし、したくないという頑なさ。ジプシーの肌にどこか常に息づいている孤独、寂寥感のようなものと、そのゆえに生まれる強さ。意固地にもみえる、ある種の逞しさ。
それらが共存し絡み合って彼らの文化に溶け込んでいて、歌や楽器演奏や踊りとして代々大切に伝えている。その文化こそがジプシーの証である。アイデンティティ、生きる上での支えにもなるもの。

以上のようなことが醸されるような音が出したい、と思って曲と向き合っていました。実際に生きている彼らと、こうして映像で見て想像するしかない日本人の私との深い感性の溝は、埋まることはないのだろうけれど。
結果的に本番はとても楽しく、表現し尽くしたのでよかったです。

一つ目のキーワードはここまで。

次回の記事では二つ目のキーワードについて書こうと思います。Monk。
Monkとは、ある作品の主人公を表した言葉。
作品もその人物像も、あまりにも素敵だったので2回足を運びました。
映画館に。
(ここまで言ったら分かる方もいらっしゃるかな)

今日はここまで。
最後まで読んでくださりありがとうございます!




P.S. 夏に日本で室内楽のコンサート予定。詳細は追ってまたお知らせします!

赤間 美沙子 (note特別プロフィール)

2021年よりベルギー国立管弦楽団コンサートマスター。
ゲスト・コンサートマスターとして、またソロや室内楽でもヨーロッパ各地で演奏する。
特に室内楽はライフワークで、ヨーロッパと日本を中心に積極的に取り組んでいる。特にサロン・ド・プロヴァンス室内楽音楽祭(フランス)では音楽監督のエリック・ルサージュ、エマニュエル・パユら敬愛する方々と共演し、彼らの尽きない好奇心と向学心に大いに刺激を受ける。
東京音楽コンクール第3位、アンリ・マルトー国際コンクール第2位及びモーツアルト演奏特別賞、ロン・ティボー・クレスパン国際コンクールにてブーレーズ作品演奏特別賞など。ソリストとして新日本フィルハーモニー管弦楽団、フランス国立音楽院オーケストラ等と共演。
東京都出身。桐朋学園大学音楽学部を経て、パリ国立高等音楽院首席卒業。同音楽院アーティストディプロマ、ケルン音楽大学Konzertexamen課程修了。
桐朋での師、景山誠治先生には音楽の面白さと奥深さを、パリでの師、ロラン・ドガレイユ先生(元パリ管コンマス)にはコンサートマスターとしてだけではなく人間としての在り方を、そしてケルンでの師、ミハエラ・マルティン先生にはどう音を聴き音と向き合うかということ、音楽家としてのマインドを学んだ。







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