最後に泣いたのはいつですか?
突然ですが、
『泣くこと』を許せていますか?
悲しいよ
つらいよ
怖いよ
不安だよ
やだよ
と言って泣くこと。
自分に許可していますか?
わたしは、『泣いたらダメ』って思っていました。
泣いたらお母さん心配しちゃうから
泣いたら自分が崩れてもう戻れなくなっちゃいそうだから
それで自分が潰れたら大切な人を守れないから
わたしが潰れるわけにいかない。潰れてなんかいられない(私はお母さんだよ)
こんなんで泣いたら負けた気がする
上に立つ人は不安を見せちゃいけない
(保育士の時)
そういう、自ら背負った責任感で
自分が泣くことを絶対に許していませんでした。
20代前半のとき、電車で痴漢にあいました。
初めてのことで、何がなんだか分からなくて。
でも振り返って目に入ったあの男の人の姿、確認しようと出した手に触れたあの人手の感触…
恐怖で身体が固まりました。声なんて出なかった。そのまま頭真っ白で、涙こらえながら家まで歩いた。
家に入ったとたん涙があふれた。台所にいたお母さんに伝えた。一通り聴いてくれたあと母は、「お風呂入って顔洗って暖まっておいで」と言った。
“そっか、いつまでも泣いてないで切り替えないとね!” そう捉えた。
温かいお風呂で顔を洗って、気持ちも落ち着き、確かにスッキリして夜ご飯も食べられた。
お母さんはこうやっていつも、
気持ちを切り替えて再び前に向かう方法を愛情もって伝えてくれる人だった。
それで私自身強くなれた部分もたくさんある。
くじけそうになっても食い縛って踏ん張れたり、落ち込むことがあっても切り替えて前を向いて歩き出せたり。
でもたぶん、
本当はもう少しだけ、泣きたかったんだと思う。
もう大丈夫って自分でなるまで
泣ききりたかったんだと思う。
とってもショッキングだった痴漢事件のあの日。本当は、わんわん泣いて、お母さんに抱き締めてもらいたかったんだ。
お母さんに文句を言うつもりは全然ない。
お母さんはそうやって辛いことを乗り越えてきたんだと思うし、その対応がお母さんの愛だったって分かってるから。
大人になった私は、
人前で絶対に泣かない
職場で泣かない
そんなルールをしらぬ間に作り、
自分で自分を苦しめてきたことに
やっと気づいた。
わたしは、泣きたいんだね
つらいとか悲しいとか不安とかを
ちゃんと泣いて、外に出してあげたい。
我慢するのに、もう限界がきた。
振り子がパーンと振り切った。
昨日のアイオライト(ビジネススクール)の講義中に、私はわんわん泣いていた。
こんなに?ってくらい、ぐちゃぐちゃに泣いてた。(まさにダムの放流みたいな)
ひとつじゃなくて、抱えて蓋してきたいろんなものが一度にぶわっと出てきた感じで、
講義の話のテーマが変わってもポロポロ…ポロポロ…
自分でも訳わかんなくなりながら泣いてたなぁ。(泣かせてもらえた、この環境と仲間にも感謝)
そのあとは、しばらく頭がぼーっとして、疲れや眠気もどっときて、
ベッドで自分を休ませてあげることにした。
こんなにも泣いてしまって、しばらく仲間の前に顔出せなくなるかな…発信もできなくなってしまうかなと思ったけど、
とってもすっきりして、楽になって、
リセットされて軽くなっていた。
これからは、
自分の前では思いっきり気が済むまで泣かせてあげようと思う。
泣いたら崩れてしまって立ち上がれなくなるんじゃなくて、
逆。
気が済むまで出したら元気になってまた歩き出せるということがわかった
だから大丈夫。
安心して泣き散らそう。
大人だって子どもだって、みーんな
泣きたいときは泣いていいんだよーーー!♡
知らず知らずのうちに
我慢溜めちゃってること、ないですか?
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