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「かわいいね」を素直に受け取れないのは、私が卑屈なのか〜同級生との奇妙な再会〜

私は、放課後等デイサービスのスタッフとして働いている。放課後等デイサービスとは、障がいのある子どもたちが、放課後遊びにやってくる場所である。
職場は実家から徒歩7分。思いっきり私が生まれ育った地域だ。(私は現在結婚をし、県内他市から1時間半かけて通勤している。)
職場のすぐそばの商店街にはセブンイレブンがあり、道路に面して喫煙所も設けられている。
夏前頃から、私はその喫煙所で煙草を吸っている同級生男子の姿を何度か見かけていた。
同級生と言っても、小中学校を通してクラスが同じになったかも定かではない、「同じ学年の男子」という程度の認識しか私にはなかった。
しかし、顔と名前は憶えている。それは彼がわりと目立つタイプだったからだ。明るくひょうきんで、学年のボス的男子と仲がいい印象だった。
一方の私は、大人しくて暗い、あまり存在感のないタイプ。彼とは正反対の立ち位置だったため、在学時に関わりがあった記憶はほとんどない。

このところ何度か見かけるなー…と思っていたある日、突然声をかけられた。
「よお、〇〇」
彼は私の名前を知っていた。(正確には憶えていた。)
名前を呼ばれた私は本当に驚いた。同級生と分かっていても、当時から話すような仲ではなかったし、何しろ中学卒業以来25年近くは全く会っていなかったのに、予想以上に気さくに呼び止められたことに、一瞬たじろいでしまった。
「俺だよ、H。憶えてる?」
「うん、憶えてる」
「俺、今実家に戻ってきててさ、家がこの近くだから、時々ここにタバコ吸いにきてんの。〇〇は仕事?」
「うん、このすぐ裏でね。放課後等デイサービスの仕事してる」
「デイサービスって、老人の?」
私の職場のそばには高齢者のデイサービスもあり、そちらの方が通りに近く、大きな看板もあるので、地元民が目印にしているような場所だった。
「そこじゃないんだ。場所は近いんだけど、うちは障がいのある子どもたちが来る場所なの」
「ふーん」
…なんて、何気ない会話が続く。
立ち止まって話し始めてしまったので、別れを切り出すタイミングも分からずドキドキしていると、Hくんは、また話し始めた。
「同級生、誰かと会ってる?」
「いや、うん…〇〇さんとか、〇〇さんとか…そのくらいかな」
彼に私が仲の良かった友人の名前を出しても、私の友人なので目立つタイプの子はおらず、言っても分からないんじゃないか、などと思いながらも何人か名前を挙げる。
「ふーん」
と、またすぐに会話が終わった。それ絶対誰だか分かってないでしょ…と思ったが、Hくんは「みんなにもよろしく言っといて」
と爽やかに言った。
私は仕事の休憩中だったので、その流れで別れたのだが、しばらく心臓のドキドキが止まらなかった。
Hくんが話しかけてくれたことは、単純に嬉しかったのだが、それ以上に、頭の中には「?」マークがたくさん浮かんでしまった。

何で話しかけてきたの?

何で私のこと憶えてるの?

私の友だちのことも本当に憶えてるの?

他意はなかったのかもしれない、単純に懐かしくて声をかけてくれたのかもしれない。それでも、小中学校時代に明るい思い出があまりない私にとっては、嬉しいドキドキよりも、何か裏があって騙されるんじゃないかとか、そんな失礼な想像の方が大きくなってしまった。

その後も、たまに見かけると挨拶を交わす仲になった。向こうから声をかけてくれた以上、会話をしてしまった以上、もう知らないふりをして通り過ぎることはできない。
まあ私は仕事中だし、挨拶だけなら変な関わりも起こらないだろう…と自分に言い聞かせていた。
私には弟もいるし、男性恐怖症というわけではないのだが、小中学校時代、自分のコンプレックスが強すぎて、男子に対しては自ら壁を作っていたというか、関わるきっかけなどどう作っていいのかも分からない存在だった。
今は結婚もしているし、男性と同じ職場で働いたりも当然しているのだが、不思議なもので、当時の同級生を前にすると当時の自分になってしまうような気がして、悪い想像ばかりが先行してしまっていた。

そんなある日、またも私を戸惑わせる出来事が起きたのである。
私の職場は袋小路の中にあるため、利用者が車で来所した時には、例のセブンイレブンまでお迎えに出るシステムになっている。
「おはようございます!」
と、親御さんと子どもに挨拶をして迎え、子どもと一緒にさあ職場に戻ろうと思ったら、セブンイレブンの前にHくん。
利用者を連れた状態で会うのは初めてだったが、とりあえず私は「おはよう」と声をかけた。
するとHくんはニコニコと片手を上げ、こう言ったのである。
「その子かわいいね」
もう私の頭は瞬間にしてまた「はぁ!?」と大混乱。

ここからは少し話の矛先が変わるのだが、障がい福祉の仕事に縁のない世間の人たちは、障がい児者に、程度の差はあれ偏見があると私は思っている。
・気持ち悪い、気味悪い
・汚い
・怖い
これ自体が、私の偏見なのかもしれないが。
しかし実際、私の祖母や、わりと仲の良い友人でさえ、障がい者を見ると「気持ち悪い」「近寄らないでほしい」と、堂々と口にしていた。
私は、その言葉に小さい頃から傷ついていた。自分が言われているように感じていた。
そのような差別的な言葉を、口にするかしないかの違いだけであって、縁遠い職種の人たちは、みんなそう思っているんだろうと思ってきた。
しかもこの日に私が一緒に歩いていた子は、言い方は非常に悪いが、敢えてこの言い方にすると、「見たからに障がい児」なのである。
歩行が不安定なので、私が脇を支えて歩く。視線は定まらず、フワフワと色々なところを見ている。筋力が弱いので口を閉じられず、涎が出てしまう。

しかし、Hくんの発言はどうか。
「その子かわいいね」はなかなか障がい児に対して咄嗟に出ないものではないかと思う。ましてやその子どもは、丸坊主で真っ黒に日焼けした、身長も私より少し低いくらいの立派な男の子である。

さて、ここに来てようやくタイトルの話にたどり着くわけだが、Hくんは、「その子かわいいね」を、どういう意図で言ったのだろうか。
25年間会っていない、口もほとんど利いたことのない同級生が、仕事で連れている障がい児。
一番に考えるのは、寂しいことではあるが、当然全くの社交辞令だということ。これが一番可能性としても大きいとは思うが、私はもう一つ、もしかしたらの可能性を考えた。
もしかしたら、Hくんの身内や身近に、障がい者がいるのではないかと。
もし二番目の可能性だとしたら、私はよく知らない同級生に対しても、世間のその他大勢が抱く障がい者に対する偏見を当てはめて、穿った見方をしていたのではないか…と、一人で勝手に反省した。
…真相は分からないので、あくまで私の想像の域を出ないが。

人は皆、何かしらの悩みや苦労を抱えている。それはHくんもまた同じで、明るい性格の裏には、様々な困難を抱えて生きているかもしれない。
よく、人を見た目で判断してはいけないと言うが、よく分からない人にこそ、これは当てはまるのではないかと、私は今回の一連の出来事を通して自分なりに考えた。
仕事柄もそうだが、私自身もたくさんの「人と違うところ」に悩んで生きてきた。
人の多様性を、仕事で関わる子どもたちだけでなく、自分の周りにいる人たちにも認めて、より柔軟な考え方ができるようにこれからも精進していきたい。

#エッセイ #日常 #放課後等デイサービス #障がい福祉

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