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身内に障がい児者がいるのは恥なのか

これは、私の母の話である。

私(娘)は身障者手帳を持っている。医学的にも世間的にも障がい者だと認められている。ちなみに申請したのは私自身で、30歳になる頃だったと思う。
私は、自分が幼少期から生きづらさを抱えて生きてきたことを、当然だが一番よく分かっている。身障者手帳が出ると分かった時は、心底嬉しかったしほっとした。それで私の社会的立場が何か変わるわけではなかったが、肩の荷が下りたような開放感を味わった。

そんな私を育てた母は、障がい者手帳を取得すると言った私を、子どもの頃から変わらない「同情の眼差し」で見つめこう言うのである。
「大変ね。かわいそうね」
「大人になってもまだ苦労するのね」

時は流れ、数年後、私に甥っ子Sができた。弟の子どもで、早産で超未熟児で生まれてきたため脳が未成熟で、後に自閉症と診断された。現在、個別支援級に通う小学2年生である。
この時母は、「お嫁さんが高齢出産だったから」、未熟児で生まれて障がいが残ってしまったのは仕方がない、というとらえ方をしていた。

私は、仕事柄これまでおそらく100人近い自閉症児と、その家族を見てきている。自閉症には少なからず遺伝的要素があると、経験上何となく感じている。(※あくまでも個人的見解です。)
私は甥っ子が自閉症だと診断された時、お嫁さんの高齢出産ではなく(それもゼロではないかもしれないが)、弟の遺伝的要因も疑った。弟は、幼少期から「ちょっと変わり者」だった。集団行動から外れていてとにかくマイペース。初めての場所やものは、とことん調べないと気が済まない…などなど。それは実際、母も弟の担任などから言われてきている事実だった。
それでも、コミュニケーション能力に問題はなかったし、知的な遅れもなかった。弟は小学校から中学、高校、大学まで、特に問題なく卒業して、一般企業で立派にサラリーマンをしている。
弟の時代は、弟レベルでは引っかからないでもやり過ごせてしまう時代だったのだ。(逆に今の時代だったら、もしかしたら弟にも何らかの診断名がつくのかもしれない。)

なので母は、うちの家系に何か要因があるとは、これっぽっちも思っていない。

さて。ここに来て、最近身内に3人目の障がい児誕生かと、私界隈がざわついている。私のもう一人の弟にも男の子Kが生まれ、現在1歳9ヶ月になるが、言葉がまだない。目が合わない、呼んでも反応しない、人と関わって遊ばない、表情が乏しく、場違いなところで理由分からず笑う…など、かなり怪しげなにおいが漂い始めた。
それを、母はとても心配しているのである。
「お嫁さんが中国人だから」、ニカ国語で話しかけて、頭が混乱して言葉が遅いのよ。タブレットで動画ばかり見せて。自閉症だと思わない?心配よ…。
と。
実際、ハーフでバイリンガルで育てられている子どもは、言葉が出始めるのが遅いという傾向はあるらしいが。それにしても…と、私は思うわけである。

しかし母はここまで、自分の子どもに何か要因があるとは全くもって思っていないのである。
ここまで身内に増えていたら、私は私の家系を疑うけど…と冷静に思うのだが、ちらっと、「これでKが自閉症だったら、明らかにうちの家系に問題あるでしょ」とか零してしまったことがあり、その時の母の顔色の変わりようったらなかった。
「何でそういうこと言うの?」と、明らかに傷ついた顔をしたのである。(自分はお嫁さんを無自覚に傷つけているのに)
ちなみに、私の障がいに関しても、母は生まれて間もなくかかってしまった大病の後遺症で後天的なものだと言い張っているが、そもそもその大病は、私が二分脊椎という奇形で生まれてきているから引き起こされたものなのである。母もこの事実は分かっているのに、私が奇形で生まれたことからは目を逸らしているのである。
母を追い詰めるつもりもないのでこれは母には言っていないが、近年、二分脊椎に関しては妊娠中の母体の葉酸不足が原因であると医学的に認められてきている。葉酸を摂らない母親は今も昔も当たり前にいるだろうが、私の母親には、「たまたま二分脊椎の子どもを生んでしまう遺伝子的な何か」があったのではないかと私は思っている。
しかし、母を責めるつもりは毛頭ないし、むしろ、本当に愛情深く、病気ばかりで苦労をかけた私をここまで立派に育ててくれて、本当に心から感謝している。私の子育てに苦労しながら、それでも4人(弟2人の間に妹もいる)もの子どもを育て上げた母親は本当に尊敬するし、私には到底真似できないと思っている。

私も、障がい児者が当たり前に身近にいる環境で仕事をしてきて、一般人の母に軽々しく障がいだ何だと話をしすぎてきたし、ちょっと気になる仕種があっただけで、自閉症っぽいよね…なんて軽々しく言ってしまってきたことは、少し反省している。
それに加えて、母は4人の子育てを「立派に」してきて、子どもが大好きで、還暦を過ぎてから保育園のアルバイトにも行ってしまって、そこでも保育士から頼られちやほやされて、ついには通信講座で保育士資格を取ると言い始め、とにかく自分の子育てに、大いに自信を持っちゃっているのである。

私、こんなに立派に4人も子育てしたの。
病気ばかりで大変な子を育て上げたの。
4人とも「まともに」育ってくれて…みんな結婚して巣立っていったの。

母の発言は、昔から母が主体なのである。
自分が苦労した、自分が育てた、自分が立派…。

だから、身内の障がいを認められないのだと思う。認めたくないのだと思う。
それはそれで結構だが、その言動や思考そのものが、障がい児者を差別する優性思想(古っ)だし、自分の娘や息子の本来の姿を見ていないから、無自覚に差別的な発言を繰り返してしまうのだと、たまに虚しく感じるのである。

私は、私自身が障がいを持っていてもそれが私だと思っているし、今さらそれを嘆いたり、親を責めるつもりも毛頭ない。
それと同じく、甥っ子に障がいがあろうとなかろうと、私にとっては甥っ子という事実は変わらないのである。
しかし母にとっては、「障がいのある孫を持つ、苦労する母」ということを周囲に嘆きたいだけに見えて、やり取りが白けたものに聞こえてしまうのだ。
何でそうなっちゃったのかしら、どうしようかしら…という悲劇のヒロインと化してしまい、主体である甥っ子の存在など、どうでもいいのである。
実際、もしKが自閉症だったら、希望の幼稚園に入れてもらえるのか、とか、祖母という立場の母が考えるべきではないことに、今から勝手に「どうしよう」と頭を悩ませているのである。
もっと今現在の甥っ子の姿を見て、関わって、甥っ子にとって何がいいのか、何が好きで何が嫌なのか…そういうところに寄り添ってほしいと思う。
母の「子ども好き」は、教科書通りの定型発達の子どもにしか通用しないし、私から言わせてもらえば、それで自閉症を知ったふうに言ってほしくない。(実際、タブレット見せすぎで自閉症っぽくなっているだなんて、いつの時代の誤解ですかってツッコミたいし。)
かと言って、私も母に対して、「いや、そうじゃないでしょ」ということをうまく伝えられずにおり、とりあえず、久しぶりに「自閉症といえば」な作品『光とともに』を読み返して私も冷静に初心を取り戻そう。…とか考えてしまう今日この頃なのでした。

甥っ子Kには、障がいの有無に関わらず健やかにのびのびと成長してほしいと願うばかりである。

#障がい児 #障がい者 #差別 #偏見 #みんな違ってみんないい #多様性

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