見出し画像

ちょっとメンヘラぐらいが、人として自然な気がする。

個人主義の根強い今の正しい恋愛観って一体何なんだろう?

私の親友はちょっとメンヘラだ。すぐに嫉妬しちゃう自分をいつも責めている。自分の機嫌をとるのが難しいらしい。

対して私は比較的穏やかだ。あまり嫉妬深くもないし、お付き合いしている人がいる時もお互いのプライベートの時間を大切にしたいと思う方だ。

親友は不思議がる「なんでいつもそんなに穏やかでいられるの?」と。そう聞かれた時、私は本当に本音なのか分からないまま「付き合ってるとはいえ、人それぞれの人生だから自由だけは奪いたく無いんだよね。」と答える。

本音といえば本音だけれど、この考えは今の社会の求める模範解答すぎる気がしてくる。これは本来の私自身の考えなのか?という疑問が脳裏をかすめる。”そうであらなければならない”という無意識下に内面化してつくられた自己のひとつなのかもしれない。

個人主義の色が強く、今は男女問わず自分の人生は自分で作らなければいけない。今の社会に求められている男女関係はひと昔前の男女観ではうまく成立しないだろう。女性も立派に勤め上げ、社会地位を確立していかなければならない。そして、そんな女性の方がモテる時代になっている。

お互いを拘束し合わず、必要な時に会い、お互いの未来を応援し合う、そんなパートナー的な恋人関係が今風だ。実際に私自身そんな価値観を自然と自分の中に落とし込んでいるし、その正しさについては疑ったこともなかった。

”今風”の男女観は資本主義社会にぴったりとかハマり、男性からの需要も多ければ、精神的ストレスも少ない。圧倒的に個を確立してしまえば、無用に傷つく心配がないから。

「なんでいつもそんなに穏やかでいられるの?」

親友からの問いに、あまりにも教科書的な正しさを孕んだ個人主義の強い回答が、嫌に自然に私の口をついて出てくるこの状況、なんだかスッキリしない。

ひとりの人間として凛と立った女性は格好いい。だけど、それだけが全てではないし、そうでなくても良いのかもしれない。

寧ろ人を好きになるって、ダサくて、歯止めが効かなくて、もっと不格好なことなんじゃないかな。ずっと正しくいることに拘る必要はないのかもしれない。

そんな風に思い、目の前にいる親友が羨ましくなった。ちょっとメンヘラくらいのありのままの姿を愛おしく感じた。そんな風に喜怒哀楽を隠さず表現出来てしまう素直さが羨ましくなった。

もしかしたら私は、今の時代に順応するように自分自身で自分を最適化してきたのかもしれない。

多分これは私だけじゃない。分かったような顔して分析してそれで心を癒すしかない不器用な人が増えたような気がする。みんな正しい回答を、さも自分の芯から出てきた考えかのように語る。その全ては現代的な回答で、それを聞くたびにちょっとした違和感を覚える。

本当はもっと、シンプルに人を好きになって、小さいことで一喜一憂したいだけなんじゃないかなぁ、なんて。

そんな事を考えてみても私だってどうせまた、明日になったら最適化された思考を内面化していつもの日常を送るんだろう。

ただ、ずっと正しくいる必要はない。

ちょっとメンヘラで不格好でも、それはそれで人間らしいから、そんなダサくて可愛い大人が私は好きだ。