転々としちゃう性質
今年で社会人7年目の私。
3社目を退職しようとしている。
だけど、転々としてしまうということに一切の恥じらいを持たない。
だからといって、転々と出来る才能だ!などと無駄に誇っているわけでもない。
たまに「何かを決断できるのが凄いよ、私は状況を変えるのが怖くて…」という謙虚な人がいるけど、別に決断できるのが凄いことだとも思っていない。
全ては特徴なだけ、そこに優劣なんかない。
ただ、状況を動かすにはそれに伴うだけの納得感がなければいけなくて、その納得感を得るためにひたすらに考えなければいけなかったのは事実。
なんの考えもなく転々と出来るほど無鉄砲にはなれない、その辺が私のよくいる普通の人っぽいところで…。
ひたすら考えられるというのもただの特徴だけど、ひたすらに考えるというのも狂気じみた性質なので、私は自分の性質にはそれなりに苦労はしている。
だから、そこだけは褒められたいかな。
動きたくても動けない人は考える力がないか、もしくは考えることを放棄して一時的に楽な方向に逃げているかじゃないかなぁと思う。
ただ、それは”一時的に逃げる”という方法で誤魔化せる程度の苦痛だとも言える。
私は標準的な人より違和感に対するセンサーが敏感に働く方で、大袈裟じゃなく嫌な仕事が出来ないという困った身体をしている。
例えば、我慢が出来ない。
それはどういうことかというと、我慢をしようとすれば身体が”眠る”のだ。
眠るというより、魂が半分抜けてしまうという表現が近いかもしれない。(実際は居眠りをしてるだけ)
それは強烈な眠気であり、この眠気と闘う日々は想像以上に辛いのだ。
おまけに、眠ってしまう自分に対する苛立ちと自己嫌悪もきつかったりする。根は真面目なので、魂が半分抜けた自分でいることに対して負い目を感じてしまう。
どうしようもなくポンコツな自分を自分が一番許せないのに、身体は否応なしに眠るのだ。
そんな状況は一刻も早く抜け出さなければ、自己肯定感はものすごい勢いで下がっていく。
だから、辞める。
私の場合は、退職できるのは決断力があるからではなく、そうせざるを得ない抵抗できない力によって退職させられるのだ。
だって身体が眠るから。
これについて不思議すぎて調べたことがあるけど、ADHDの気がある人は興味のないことをしていると眠くなる体質みたいで、多分それかもしれない。
だから、決断力があって凄いね!
じゃない。
魂が毎日半分抜けてて、眠りこける日々を耐えられなかっただけ。
ただ、次に移るにはそれなりの方向を導き出さなければいけないから、考えることだけは頑張ったと思う。
考え続けた自分、お疲れ様。
そして何かしらの方向を見つけ出したこと、おめでとう。
次は、魂が半分抜けないことを祈ってる。
凄いもすごくないもない、ただそういう性質だったというだけ。
という話、おわり。