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わたしの放浪記(8) 〜ライオンズゲートの夜の湖で〜


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彼の提案に無意識に頷いていていて、一緒に外を散歩することになった。

とにかく彼は不思議な人だった。
何か喋り足りないと思っているような雰囲気でぐいぐいと距離をつめてくるものの、異性に対する下心のようなものは微塵も感じないのだ。

こちらを見る目が空っぽというか、わたしを通り越したもっと奥を見ているような感じがした。
私もまだ彼に話さなけれなならないような気がした。

共有キッチンの勝手口から外に出た。
8月8日、真夏の新月の夜に出会ったばかりの見ず知らずの男性と散歩をすることになった。

外はもう真っ暗でぽつりぽつりと街灯がある程度だった。

何から話したのかはあまり覚えていないけど、とにかく私の感じていることをひとつずつ言葉にしていった。考えて話をしたのかもあまり覚えていなくて、でも彼が私の奥底にある言葉をすべて導き出してくれたのは確かだった。

こんなに安心して自分の心の中を嘘偽りなく話せたことは無かった。
思えば、今まで人に語る時も心の中では色んなことを考えていた。
”この話をすれば誤解されるかも?”
”この話は理解できないかもしれないから、ここの前提から話さないと”
“話してみたけどやっぱりわからないか〜”

深い本音を私は誰にも話したことがなかったし、そこまで深い部分にある本音を話そうと思うことすら無かった、なぜなら掘り下げる前にその人の理解が追いつかないか、もしくは否定されることがほとんどだったからだ。
「考えすぎ」と言われたり、求めてもいないアドバイスを頂いたり、「まぁ難しいよね〜」と匙を投げられたり…。

しかし彼は違った。
気がついたら私の葛藤の核心まで聞き出していた。彼がどんな風にこれを聞き出したのかも分からないし、私は気がつけば自分でもまだ言語化されていないものを彼の前で綺麗に言語化できていたのだ。

その時話した葛藤

悩みの根元にたどりついたころ、ちょうど湖のほとりを歩いていた。
今日はやけに暗い、まわりがほとんど何も見えない。
それでも湖のほとりを彼と歩いた。

私は物事を俯瞰しすぎて他人の嫌なところさえも、全て自分の中にある要素だと気がついてしまう。
人を責めようにも全て自分に向いてしまう。
この生産性重視の心無い社会を責めたところで、こ社会の恩恵にあずかっている自分が言えたことじゃないと、社会への怒りはぶつけられないままに自分自身で抱えることになる。

なんとか見出した解決策として、社会に怒りを持つのであればこの資本主義社会から出来る限り距離を置いて自給自足的に生きるしかないと思った。

大きな声で主義主張をする人ほど、得をする社会が奇妙に思えてしかたなかった。
そういう人ほど自分の視点からしかものが見えていなくて俯瞰力が無い、想像力がない故にこれこそが正しい!と大きな声で叫べるのだと思うのだ。
そういう主義主張で溢れかえるSNS、人を誘導しコントロールしようとする風潮に辟易としていた。
「人を動かす」というタイトルが書店に並ぶこの時代が嫌でならなかった。
だけど同時に”わたしはそれが嫌だ!”と主張することは、相手と土俵に立つことになる、そして嫌悪している相手と同じエネルギーを放っていることになる。
そんなこともあり、もう出来るだけ主張するのをやめようという気持ちが拡大し、意見することひいては口を開くことさえやめてしまおうと思い至っていたのだ。
出来るだけ小さく小さく自分を折りたたんで消えてしまいたいと思うけど、それは死ぬということ。
流石にそれは出来ないと思い、田舎暮らしという決断に至った。

田舎で悠々自適な生活を求めたのではない、田舎で隠遁生活をしようと思った。まだ29歳という若さで社会から存在を消すように生きようと決心していたのだった。

そんな最中の彼との出会い。
そして、真っ暗な湖のほとりで私は彼に初めてその苦しさを吐き出した。

彼は言った。
「メタ認知が異常にすごいんやなぁ」と。
メタ認知?確かにそうかもしれない、異常に俯瞰しすぎるのはそのせいだろう。
「異常に高性能なメタ認知があってそのメタ認知で内観してて、その下ではずっと”正しいか正しく無いか”の歯車が回ってるんやなぁ。」
たしかに…、私は人としての正しさをずっと求めてきたように思う。
「相手を正しいか正しくないかで判断して、正しく無い場合は相手を断罪したいのに、高性能なメタ認知が発動して、自分も断罪しなあかんようになるって感じやなぁ〜」
彼は大阪弁のゆるい口調でズバズバと私の持っている構造を明らかにしていく。
「それはきついなぁ〜、めっちゃしんどいやん」
彼が心から共感してくれた気がした。
「その、”正しい正しく無いか”の歯車をさ、”自分が心地よいか心地よく無いか”って基準に入れ変えられたらいいんじゃない?その高性能なメタ認知はずーっと働いててエネルギー消費も半端じゃ無いと思うねん、やのに歯車はずっと同じところで回り続けてて、事がなにも進まへん。勿体無いよなぁ、エネルギーどこにも活きてないもん。
しかも正しさなんて存在しないからさぁ、それぞれの正しさがあるだけで、唯一の不動の正しさなんて無いもの求めても破綻していくよなぁ。
だから、それを心地よいか心地よく無いかを基準にしたら、ちゃんとその歯車が前に進んでくれると思うねん。」

もはや私以上に私に起こっている仕組みを理解していた。
まさかそんな構造になっていたとは…!
何十年と起こっていた苦しみの構造が明らかにされて、わたしの体には稲妻が走っていた。

なんて人に出会ってしまったんだ!!!
コーチングやら占い師やら、金持ちの成功した人とか、なんかしらで今まで縁があった人に助けを求めたけど、どれもしっくりこなかった。
こんな精度でど真ん中の確信をついてくれて、そして面白おかしく提案してくれる人はいなかった。
文面には表せないけど、彼の口調は軽快でコミカルでとにかく笑わせながらスルスルと明らかにしてくれるのだ。

わたしは「”自分が心地よいか心地よく無いか”の基準、今すぐ導入しないとダメですね!!」と意気込んだら
「あっ、それそれ!また真面目に〇〇しないとダメだ!って言うその感じがさ、体の中におる管理員たちが机バンッてして、これは即座に中止だ!総入れ替えだ!!!って騒いでるやん!また正しさのシステムの中に組み込まれそうやで〜」と彼は笑いながら指摘してくれた。
「新しいシステムにしないとっ!ではなくて、新しいシステムにした方が心地よいね〜!って感じでいいんよ」と。笑

自分の真面目さと癖が見事に見透かされてしまった。

湖を引き返して帰る頃には、彼のことを信頼し切っていた。
真っ暗闇だったけど、私はなんの不安もなく安心感に包まれて歩いていた、私のことを深く知れたことが何よりもうれしくて、構造を知れたからこそ変えられそうで未来に希望の光が差し込んだようだった。

彼が何者なのか、何歳なのか、どこで何をして生きているのか、素性は何も知らなかった。

だけど私の一番尊敬する人に変わっていた。

どんな肩書きよりも今私に起こった出来事が何よりもの証拠だった。

この夜のことは今でも不思議で、人生の忘れられない名シーンに入っている。
いつか死ぬ時、走馬灯で必ず思い出すと思う、これくらい私にとっては転換点になっている。

そして、後から知ることなのだけど、この夜はライオンズゲートが一番開かれている時だった。
しかもそれが新月と被る、すごく珍しい日だった。

ライオンズゲートとは一年に一度開かれる宇宙のエネルギーが一番注がれる日とのこと。
そして新月は月のエネルギーが消える=幻想が消えて、本来の自分を取り戻すに適した日。

今振り返っても、この日は嘘偽りない私があらわれるきっかけになった日になった。