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デスカフェと「死を巡るワーク」

先週末、デスカフェを主催しました。
2回目の今回は「死を巡るワーク」を用意。
私のオリジナルです。

今回のワークは、もし自分が死んでしまったら?ということを複数の視点から考える内容。
死んだらどうなるかは、誰にもわからない。
でも、それを少しだけ具体的に想像してみると、色々なことが見えてくるはず。
それを体感して、その上で参加者で感想をシェアしたらどうなるか?
どんな気づきが得られるだろう?
そんなことを考えながら、4人の参加者の皆さんと一緒に取り組んでみました。

++『死を巡るワーク』から得られるもの

ワーク後のアンケートでこんな声を頂きました。

「生きていく上での自分の中での優先事項がわかった」
「日常の大小の悩みを優先順位付けして対応できそう」

「自分が死んだらどうなる?」を考えることは、最期の選択を考えることでもあります。
何を言い残したいのかを考えることで自分の優先順位がクリアになるというのは、意外な気づきでした。

他にも、こんな意見が。

「人との関係が人生において大事なのだと納得できた」
「自分が今あるのは、周りの人に支えられているからだと感じた」

今回はたまたまそうだったのかもしれませんが、自分の死を想定した時、例えば「死んだらどうなる」とか「死が納得できない」というような自分の気持ちよりも、「自分の死を見送る人のショックや悲しみを和らげたい」という意見でまとまりました。

この意見は、自分を見送ってくれる人がいて、且つ自分の死を悲しむ人がいるという前提がなければ成り立ちません。
そういう存在がいることを再確認することは、どれだけ自分が周囲の人に恵まれ、支えられてきたかを見直す機会にもなるのです。

++様々な死生観を知ることの意味

ワーク後の感想のシェアから、それぞれの死生観の違いも見えてきます。
それが、とても興味深い。
それぞれの経験や価値観に基づく意見の違いは、新たな視点を見せてくれます。

同じ被写体をみんなで撮影しても、それぞれのアングルやズームの仕方、光の調整で全く違った写真になります。
それと同じように、「死」というテーマで話をしていても、それぞれの視点で見るものや感じ方が違います。
これは当たり前のことですが、テーマが「死」となると、普段は話すことがありません。
でも「死」を語ることは、結局のところ「どう生きるか?」を語ること。
だからこそ、様々な視点を知ることで視野を広げ、より豊かな人生の選択肢を手に入れることが出来ると思うのです。

++今後のデスカフェ

これまでは私が所属しているコミュニティのメンバー中心に募集していたデスカフェですが、今後はpeatixなどを利用して幅広く参加者を募ろうと思います。
次回は、12/6(日)15:30からを予定。
詳細は決まり次第お知らせしますが、都内を予定してます。
次回テーマは、「死の社会科見学」。
ご興味ある方はコメントでお知らせくださいね!

豊かな人生のために、ファッションのスパイスを。 学びやコーチングで自分の深掘りを。 私の視点が、誰かのヒントになりますように。