ほぼあきらめ状態での音楽留学受験

これは、前回の記事「大変だった音楽留学準備」の続きの話になります。

気の遠くなるような書類の山

受験用の英語論文は中3の冬、12月末には既に書き終わり、残るはオーディションテープ作成のみとなっていました。1月20日が、私が受験するアメリカの高校の願書締切日だったので、あまり時間に余裕はありませんでした。

いやあ、この受験用書類の準備はと・に・か・く・・・・膨大な量で何度も諦めそうになったことを今でも鮮明に覚えております。キラキラ女子が食べているような巷で流行りのふわふわフレンチトーストくらいの大きさの書類が目の前にあるわけですから・・・それも全て英語。ちんぷんかんぷんです。

正式に留学生として現地の学校に籍を置く、というのがこれほど大変なことなのか・・・。このことを事前に知っていたら、留学しようなんて思わなかったYo!でももう今頃遅いYo!

誹謗中傷

と、練習に励んでいるころに、”あんたには無理!”と前記事に書いたように地元のピアニストに罵声浴びさせられたわけです。

精神的にタフであると自他共に認めますが、それでも多少は精神状態不安定になりました。当時やっていた個人的なブログにも、急に留学準備とか調子乗ったことをしていると思われたのか匿名で誹謗中傷コメントも入ってくるようになりました。絶対あんたの能力じゃ無理、ピアノが上手い人なんてうじゃうじゃいるといった内容が多かったです中には、自分が仲の良い友達だと思っていた子が書いていたことも後で知って深く傷ついたものです。

アメリカの高校が1月20日願書締め切り。そして1月24日が、日本の高校の前期試験でした。精神状態も落ち着いていなかったし、今となってはもうその時の記憶は吹っ飛んでいます(笑)。でも最終的に、世界を敵に回しても、自分が自分で身を守るのだ!と、がむしゃらに頑張るしかなかった・・・。

受験用の録音テープ作り

12月の末にALTの先生が放課後残って、中学校の音楽室のピアノを使って録音をしよう!と試みたものの、やはり音質がとんでもなく悪いし、ピアノも調律がきちんとされていないということで、急遽1月のはじめに地元のコンサートホールを借りることに。録音設備もホールのを使用させていただけることになりました。そして録音は、チェリストでもあるALTの先生がつきっきりで一日がかりで行いました。(本当に彼女には、感謝してもしきれません!涙)

そして、使用したピアノはベーゼンドルファーのコンサートグランドでした。当時の私には勿体無いくらい・・・(笑)!そしてベーゼンドルファーといえば、普通のピアノより鍵盤が多い機種があることでも有名。通常は88鍵でできていますが、私が使用したものは一番下の音のAより更に長3度低くしたFまであった92鍵盤を備えたものでした。(他にも97鍵盤あるバージョンもあるそうです)なんだ、この左下の黒くなっている部分は?!と、サイズ感に慣れず、躊躇いながらの録音になったのを覚えております。

録音課題曲

課題曲は、エチュード1つ、自由曲2つ、そしてスケールを2つ(長調と短調)でした。いたって普通のレパートリーですね。

そして私がオーディション用に選んだ曲は・・・

・モーツアルト ロンド K.485 ニ短調
・グリーグ 叙情小曲集 Op.43-1 ”蝶々”

エチュードは・・・すみませんが、今の時点ではもう思い出せません。ツェルニーか、モシュコフスキーか、そこら辺だったと思います。

そして、例の私にとっては地獄のスケール。選んだのは・・・

・D Major (ニ長調)
・B minor (ロ短調)

スケールは、結局録音一週間前になって私の元のピアノの先生に頼み込みに行きました。ずっとレッスンを休んでいたし、先生とはいざこざもあったので、こんなお願いをするのはとっっっても気まずかったのですが、独学だとさすがに不安で・・・(笑)。時間もあまりないということで、先生が比較的弾きやすい調を2つ選んでくれたのがこのD MajorとB minorでした。これ以外の調の弾き方は全く知ることなく・・・(笑)。現在ピアノで博士課程に在籍している者なのですが、今考えるとおそろしぃ〜!!

スケール含め、課題曲も俄かに録音前に練習したようなものだったので、録音終了した日にALTの先生に言われました。

“Please don’t be upset, if you didn’t get in, it’s very competitive.”
(もし不合格になったとしても、落ち込まないでね。競争率は、すごく高いのだから)

倍率は、約10倍だったと記憶しています。世界中から、プロの音楽家になることを約束されているような子たちが応募する学校だと聞いていたので、”国連職員を目指して、ピアノと英語を勉強しにいけるからアメリカ行こう~(^^♪”なんて気楽に考えている私には、縁のない話だったのです。

落ちてもしょうがない!

なので、そんな私も

絶対に合格したい!

という気持ちは持っていなくて、自分としては、

”記念にアメリカの学校を受験できたし、落ちたとしても、いい経験になる!仮に奇跡的に合格しても、我が家は貧乏だから現実的に行くことを考えると相当難しいだろうし、誉れだけでももらえればいいか!”

ということで、書類をすべてアメリカに送った時はホッとしたとともに、大きな物事をやりきった達成感が何よりありました。

自分ができるベストのことはやった。録音は、たぶん80パーセントくらいの満足度。結果は、どっちでもいい。どう転んだとしたって、落ち込まないぞ。

けじめがついたところで、日本の高校の受験勉強に専念することにしました。


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Misaki Saito / @ロサンゼルス
記事を読んでいただき、ありがとうございます。温かいサポートがあった日には、とりあえず嬉しすぎて宇宙までひとっ飛び。そして地球に帰還後、ちょっと贅沢にタピオカミルクティーをご褒美に買いに行きます。いつか皆様に恩返しができますように・・・!