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芸術鑑賞と説明しないジャグリング②

前回の続き・・・

鑑賞者の想像の余地があるからこそ、芸術鑑賞は楽しいという話でおわっていたのですが。

やっぱりそれをジャグリングに繋げたい。

完全でない情報を補完しようとする、私たちの想像力を侮ってはいけません。

だからこそ映画でも演劇でも全てを分かりやすく伝えられるとつまらなくなってしまいますよね。学校の授業みたいになっちゃう。

最近のことでいうと「THE LIGHT HOUSE 」というRobert Neil Eggers監督の映画を見たときに、色んな感情が湧いてきて眠れなかった。

モノクロの美しい映像に魔力があって余韻に浸っていたいという思いと、結局なんだったんだという疑問。この映画は何が言いたいんだ~ああああ~という気持ちにさせてくれた。

思い出すとなんだか怖いシーンがあるのでしばらく考えることをやめていたが、それでもやっぱり最後は美しかったと帰結した。

そういえばStanley Kubrickの「2001: A Space Odyssey」のエンディングでも、なんか疑問の宇宙に放り出された感があった。

 そういう分からない系の映画だよね完結するのも失礼かなと思うし、分からないと思いながらも考えるのが好きだ。

そして全てを説明しないジャグリングって何だろうな~と考えたときにある出来事を思い出した。

ストックホルムにあるダンスとサーカスの王立大学、通称DOCHに行った時のこと。(*今はDOCHじゃなくてStockholm University of the Artsという名称)

ジャグリング専攻というものがあって、ほかの学生たちに混じって授業を受けさせてもらった。

当時ジャグリングを専攻する学生はOnni Toivonen, Nelli Kujansivu, Guillaume Karpowicz、そしてゲスト的に参加したWes Pedenがいた。

メンバーがメンバーだから見学がいいと言ったのだけど、いるんだからやればいいじゃんといわれて、いろいろな課題を課されることに。

課題は「人を笑わせるジャグリングを10分で考える」とか胃がキリキリするようなものばかり。みんな一生懸命考えて1人1人発表していくのだけど、課題を出した当本人の講師Jay Gilliganは真顔のままでなかなか笑ってくれないのです。今でも鮮明に思い出されるあの教室の雰囲気・・・はあ(笑)

よくよく考えれば、あの数々の難題はどのようにジャグリングすれば、どのような印象を与えるのかということに意識的になるためのきっかけづくり。

また機会があればJayの授業を受けてみたいなと思う。でも心臓に悪かったので今度は見学がいいと主張したい。

そしてなんの課題だったか忘れたけど、Wesが教室のロッカーの後ろに隠れてジャグリングをし始めた。姿は見えないけど、確実に7ボールくらいはジャグリングしているような音がした。

しかし実際は、1つのボールを右手、左手に交互に受け渡ししているだけの音だった(記憶があいまいだけど確かこんなんだった)なんてことがあったのです。

ボールが手に当たる音を聞いただけで、クラスの全員が「ジャグリングをしている」という想像ができるということが何となく面白かったのを思い出しました。

まとめる力がないのだけど。

つまり、そういった人の想像力を利用したり、時々挑戦的になってみたり、そういったジャグリングが見たいな~と思いました。

ナンバーズが上手だったとか、ダンスが上手だったとか、分かりやすいストーリーがあるとかではなくて

あれは一体何だったんだろうとポンと放り出されるような、でも美しかったなと感動できるジャグリングに出会うのがとても楽しいのだなと思う。

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