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ジャグリングと経済

長崎の北、平戸にある祖母の実家を訪ねたときに、よく知らない隣の家のおばあちゃんから手作りのお手玉を3つもらった。(手作りの巾着付き)

着物のハギレをつなぎ合わせて作った、中には小豆を入れた本当にクラシックなお手玉だ。

それが案外軽くて、使いやすい。

しかも、好きな重さに調節すればいいと、外側の皮だけ余分に3つ分もらった。

なんだかそもそも手作りのお手玉をもらうということそのものが衝撃的だった。

ジャグラーの友達からじゃなくて、平戸の85歳くらいの農家のおばあちゃんからもらうということ。

日本にはお手玉を各家庭で作るという文化があったんだということを思い知らされた。

商品化されている大量生産のスタイリッシュなジャグリング道具を持つことにステータスを感じることもあるが、

作った人のくらしが分かるような、このお手玉に特別な魅力を感じた。

そういえば、音楽にしてもその土地の雰囲気が分かるような民謡などを聞くのが好きだ。

家族や、その土地の人と楽しむために作られた音楽はとても親密なのだ。

インターネットや流通が発達した今、すべてが商品化され、均一化されてしまうような感覚になる

そんな中でこのお手玉が存在しているということがとても貴重に感じたのでした。

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そして最近友人に勧められてある本を読みました。

経済の本なんて1ページも読めないと思っていたけど、この本は読んでよかった!

タイトルは「Talking to my daughter about the economy」

ギリシャの元経済大臣、Yanis Varoufakisが自分の10代の娘のために書いた経済の本だ。

特に心に残ったのは第二次世界大戦中の収容所での話、

ある収容所では赤十字から送られる物資を捕虜同士で物々交換するようになり、次第に「タバコ」を通貨として物資を取引する経済が生まれた。

ある収容所ではそのような経済は全く発達せず、タバコが欲しい人がいたら、吸わない人があげる。というシンプルな人の営みが行われていた。

前者の収容所ではやはり経済のしくみを理解し、形作った少人数が真っ先に収容所での勝者となる。

後者には自分だけの利益を考える人がいなかった、

というよりも、もちろん誰しもそういった欲があるけど、行き過ぎると今まで築いてきた「助け合い」の社会が崩壊してしまうという認識が収容所の中で共有されていたんだろうなと思う。

そして今私が生きている社会は、どちらかというと前者の方で、収容所の話とは比べ物にならないほどの経済的格差がすでにあるということが、なんとなく認識することができた。

大企業が安定した品質を安価に提供できるのは消費者にとっては都合のいい話だが、それが生産者や環境にどれほどのインパクトをもたらしているのかは包み隠されている。

もうこれくらいにしておこうよというブレーキを消費者がかけられなければ、さらに格差が生まれ、環境への負担を無視した生産がおこなわれる。

最近はそういった視点で、本当に自分がサポートしたい商品を買わなければと意識している。

簡単に買えちゃうものが多すぎて、実際はできないないことが多いんだけどね。

写真はスウェーデンのジャグラーElias Hedlund 。部屋の片隅に黄色いジャグリングクラブが3つあって、でも最近はジャグリングはしないらしい。

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