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食べる不自由、食べない自由

 「それって正直、ぜいたくだと思うよ」。

 ユカリのわずかに残っていた食欲と「この人になら話しても大丈夫かも」というひとつまみの期待は、その言葉によって、すべて抹消された。

 そもそも期待しているほうが間違いか、と思いフォークを置く。目の前のグルテンフリーのペペロンチーノは、まだ半分残っている。けれど、テーブルを挟んで目の前に座っているこの女と過ごすランチタイムなら、さっさと切り上げて事務所に戻りたい。

 「どうしたの」

 カルボナーラを口に含んだまま、サキがユカリの方を見る。何も気づいていない。いや、気づいていないふりをしているだけか。

 てゆーか、食べながらしゃべんじゃねえよ、行儀悪いだろ。

 「べつに」

 「休憩、終わっちゃうよ、早く食べないと」

 サキは黙々とカルボナーラを口に運ぶ。時々、ホワイトソースが口の周りに飛び散る。

 言うんじゃなかった。

 言うんじゃ、なかった。

 結局、ユカリはなんとかペペロンチーノの残りを胃に押し込んだ。出されたものは残さず食べる──誰と食事をする時も、マナーとして曲げなかったことだ。サキの反応にげんなりした八つ当たりを、ペペロンチーノにするのはお門違い。ペペロンチーノは、何も悪くない。

 おのおの会計をして、店を出た。終始、だんまりを決め込んでいるユカリに、サキは「お腹痛いの?」と、とぼけた。とぼけているように、ユカリには聞こえた。

 こういうとき、一度嫌悪感を覚えてしまった相手の言動だと、素直に受け取ることができない。何かのフィルターがかかって、その色眼鏡でしか、相手を判別できなくなる。

 「ううん、私、コンビニ寄って戻る」

 ユカリはランチを終えたレストランの斜め向かいにあるコンビニを見ながら言った。サキは

 「分かった。じゃあ先に戻ってるね」

 と言って、ユカリと反対方向に歩き出した。私も行くと言ったらどうしようかと思ったけれど、サキもユカリの態度の機微に気づかないほど鈍感ではない。

 意図的に傷つけたり怒らせたりするようなことはしていないが、ユカリの気に食わない言動があったことくらい、サキはすぐ想像できる。こういうときは、なるべく距離を取るほうが、お互いのためなのだ。

 ユカリは、コンビニへ入り、適当な女性誌を手に取った。

 「ぜいたくだと思うよ」。

 そう言われてイラッとしたのは、なぜだろう。

 じゃあ、どう言われたらイラッとしなかったのだろう。

 私はサキに、どうしてほしかったのだろう。

 雑誌には、忙しく働く女性向けに時短で作れるレシピ特集が組まれている。コンビニにも、見渡せば過剰なほどたくさんのレトルト食品やお弁当、お菓子、お酒や飲み物が並ぶ。

 ぜいたくだとしても、食べないと決めたのだ。肉は。

 もともと肉が大好きだったわけではない。動物愛護を声高に叫んでいたわけでもない。むしろベジタリアンやヴィーガンは、自分とは関係ない世界の人種だと思っていた。

 けれど、二週間前に見たドキュメンタリーで、ユカリは指先が冷え切るほど血の気が引いた。夜も、しばらく眠れない日が続いた。

 ニワトリの首が、ギロチンのように次々に切り落とされたり、糞まみれのケージの中でぎゅうぎゅう詰めにされるブタ、延々飼料を食べさせられ、脂身が増えるように薬を投与され異常な体型に膨れ上がった牛の行列……。

 夢に出てくる。映像で流れる、たくさんの動物の死体。

 豚肉も牛肉も鶏肉も、動物たちが死なないと、私たちの目の前には現れない。

 私たちはつまり、死体を食べている。

 スーパーに並ぶ、パック詰めされた、もも肉や胸肉、ミンチや細切れなんかを見ていると、毛穴という毛穴が爆発して裂けそうになった。

 単純だと、笑われてもいい。この嫌悪を、見て見ぬ振りしたくない。なかったことに、したくない。

 サキは、ユカリの同僚だった。言いたいことをはっきり言う、快活な女友達で、ときどき無神経な発言が気に障ったが、いつもランチはサキと一緒だった。

 小耳には挟んでいた。ヴィーガンやベジタリアンの選択をすると、うとましがられる人もいること。うとましがる人もいること。めんどうだと、関わらなくなる人、食事に誘われなくなる人、誘わなくなる人がいるということ。

 アレルギーや体質の問題で、食べるものを取捨選択するのは不可抗力だと認められるのに、食べるときの嫌悪感は認められないなんて、おかしな話だ。

 ユカリは、試しにサキに打ち明けてみようと思った。

 ちょうどよかったのだ。親友でも恋人でも、家族でもないけれど、まあまあ自分のことを知っている人がサキだった。非難されようと、賛称されようと、ユカリの選択をゆさぶるほどの効力は持たないだろうと思った。

 そう、思っていた。

 けれど、肉を食べない生活を始めた、と言うと、

 「それって正直、ぜいたくだと思うよ」と、サキは言い、ユカリは持っていたフォークを投げつけたい衝動に駆られた。

 あれ、とユカリは、雑誌を握りしめて思った。

 サキに何を言われようと動揺しない自信があったのに、こんなにもむしゃくしゃする──その誤算に、わたし自身、ますますイライラしているのだ──。

 なにがぜいたくなのか、ユカリには分からなかった。

 食べられる自由があるのに、わざわざ避けることが、ぜいたく?

 これ以上いらないのに「もっと」と欲しがるほうが、よっぽど“ぜいたく”ではないの?

 わたしたちが必要な栄養は、こうしてあふれているのに、わざわざ死体を増やしてまで、摂取しなければならないものなの?

 胃に流し込む食物だけを求めて真顔でコンビニを出たり入ったりする人々は、ユカリの苛立ちになど、かまわない。

 サキだって、この往来の中の、一人に過ぎなかったということか。

 本当は。

 ちがった。

 サキの、思った通りに発言する性格に、ユカリは自分の正解を委ねてみたかった。

 自分の感じた嫌悪は、正しいのだと。

 肉を食べない選択をしたのは、間違っていないのだと。

 結局、誰かに背中を押して欲しかっただけなのか。自分の素直な嫌悪感だけでは、何もかも食べられる不自由な環境を、俯瞰することすらできないなんて。

 ユカリは、シズル感いっぱいに撮られた写真が貼り付けられた雑誌を、投げ捨てるように乱暴に棚に差して、コンビニを走り出た。

 私たちは、お金さえ出せば、なんでも食べられる。死体だろうと添加物のかたまりだろうと、それが何なのか、どこからきて、どうやって作られたのか、なにも知らなくても、脳は刺激され、唾液は出る。

 我々は、食べ物に、食べるものを選べる自由に、支配されている。

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