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エピラ(3)窃盗と事故の末路

前回までのあらすじ

とある北の国と南の国の物語。ニカは南の国に暮らす女の子。行商から帰った豆農家の母・モカレと父・シマテは疲労困憊していた。父は片足を負傷し、なくしていたがその理由を「エピラだ」と告げた。

 西日に射抜かれた、シマテの目は、ますます血走って見えた。

 ニカは「エピラ」と声に出さずに繰り返した。

 エピラ。聞いたことは、ある。

 エピラは、南国で生まれ育ちながら、北国へ移住した人たちのことを指す。北国へ移住したがしばらく経って、南国へ出戻りした人たちのことも、エピラと呼ぶ。

 ニカは、まだエピラに会ったことはない。そもそも、南国から北国へ移住して、出戻る人は少ない。

 彼らが戻ってくる理由も、戻ってこない理由も、ニカには知る由もない。

 北国の住み心地がいいのか、もしくは南国での暮らしに飽き飽きしたのか……。ニカの、想像力も、エピラに対する好奇心も、だいたいいつもそこで止まっていた。

 「だいたいあんな酒屋に寄り道しなければ、怪我だってせずに済んだんだ」

 ニカの父・シマテは、母・モカレに悪態をついた。モカレは、荷車を押して疲れきった両腕をだらん、と伸ばしたまま、シマテの生々しい傷跡を見つめたまま何も言わなかった。

 「突き飛ばされたって、どういうことだい? エピラに豆をぜんぶ盗まれたってことかい?」

 ニカの祖母・モアレは、車椅子の上で腕組みしたまま尋ねた。大切な生活の糧を盗んだ犯人を、モアレは絶対に許さない。畑を荒らすタヌキや鳩にも、車椅子から転げ落ちそうになりながら、鼻息荒く石を投げつける。もともと、死んだニカの祖父──つまりモアレの夫が切りひらいた、形見の畑なのだ。世界の終わりが来ても、モアレは這ってでも畑を守るだろう。

 「豆を盗んだのは、どいつか分からん」

 シマテは、汗でベタベタになった髪をかきむしりながら言った。

 「戻ってきて、盗まれたのが分かった。周りを探したが、人影はなかった。逃げ足の速い奴らだったが、クル豆が数粒、第18集落の市街地の方向に落ちていた。だからすぐ、街のほうへ移動したんだ」

 シマテの黒い艶が、夕陽に焼かれているように光る。ニカの、太くてゆるやかな波のような曲線を描く長い髪は、シマテの髪質の遺伝だ。いまは、怒りでちぢれ上がりそうだけれど。

 「豆をたどっていくと酒屋に着いた。うちの豆をよく買う客の一人だったから、すぐに事情を話したんだ。そしたら……」

 「取り乱して大声で喋るもんだから、他の人が集まってきたのさ」

 「取り乱してなんかいるもんか。それに、収穫した半分が盗まれたんだぞ、冷静でいられるか」

 「よしなさい、言い争って何になる」

 モアレは、シマテとモカレを一喝した。まるで子どものように口を結ぶ二人を見ていると、ニカはじれったくなった。

 もともと、ニカたち南国の人々には、年齢による格差や優劣は存在しなかった。母親であろうと父親であろうと、ほとんど常に対等だった。女児は、初潮を迎えるまでは集落の外に出てはいけないという集落共通のルールはあったが、年功序列の考え方は、ほとんど無いに等しかった。長女が一番機転がきき、家族の中心にいる家庭もあれば、次男が圧倒的な体力の持ち主で、稼ぎ頭ゆえに強い発言権を持つ家庭もあった。ニカの家は、祖母のモアレが生活の知恵と経験の豊かさから、全体を取り仕切ることが多かった。

 「豆が盗まれたことを酒屋の主人がいろんな人に言って、犯人を探そうとしてくれたんだけど、その騒ぎを聞きつけた人の中に、エピラがいたのよ」

 モカレは、ため息まじりに言った。

 「どうしてエピラだって、分かるの?」

 ニカは、モカレの方を向いた。持っていたパイナップルジュースは、すっかりぬるくなっていた。

 「ああ、ニカは知らなかったかな……エピラは、手首の内側に植物みたいな刺青をしているんだよ」

 「全員?」

 「私たちが知っているエピラは、全員その刺青があったね」

 「野蛮人なんだ」

 シマテは吐き捨てるように言った。

 「エピラは、探すにも雨が降っていたし、日が暮れかけていたから、明日探したほうがいいんじゃないかなんて、呑気なことを言うんだ」

 「私たちはその日のうちに第19集落に行きたかったんだ。だからぜんぶじゃなくても、一部だけでもいいから豆を取り戻したかった。でも……」

 「あのエピラの一言で、せっかく探す気だった街の奴らが急におとなしくなりやがって。白い襟付きのシャツなんか着て、北国にかぶれたエピラに、おれたち農家の苦労なんかノミほども分かるはずないんだ」

 「そう言って、お前から突っかかったのかい」

 「悪いかい」

 「どうして一晩くらい待てなかったんだい」

 モアレは呆れたように首を振った。

 「売り切らないと、意味がない。おれたちは商売をしにわざわざ何日も歩き続けているんだ。特に最近は雨が多いから、豆の収穫量も質も落ちてる。売れるときに売らないと、おれたちが生きていけない。だから、いますぐに探すのを手伝って欲しいと言ったんだ。でも、奴は頑なだった」

 シマテは、そこまで言うと、舌打ちをして貧乏ゆすりをした。言いたくないが、言わなければならない苛立ちをかろうじておさえながら、言葉を探していた。

 「この人がエピラに突っかかったから、周りが引き離そうとしたの。その拍子に、酒屋の扉が開いて、道路に転げ出たの。ちょうどその瞬間に……」

 モカレは、思い出したように両目をぎゅっとつむった。ニカの手にも汗がにじんだ。

 「馬車が来て、この人の足の上をすごい勢いで通り過ぎたの」

 シマテは貧乏ゆすりをしたまま、再び頭を掻きむしった。うつむいて、麻のシャツは汚れている。きっと何日も洗っていないに違いない。ニカは、急に自分の父親が惨めに思えてきた。

 「なるほど」

 モアレは腕組みをしたまま言った。

 「で、結局盗まれた豆は見つかったのかい?」

 「見つからないさ」

 「あのエピラが盗んだんだ」

 シマテは、そのまま木の棒を使ってドタドタと必要以上に大きな音を立てながら、水場へ消えた。

 残されたモカレが、事故の続きを手短に説明した。

 豆の捜索は明日にしようと持ちかけたエピラは、自分は医者だと言って、馬車に轢かれたシマテに真っ先に駆け寄ったという。けれど、エピラ嫌いのシマテは彼を突き飛ばし、激痛を抑えながら這ってその場を立ち去ろうとした。豆を盗まれた空っぽの荷車は、モカレ一人でも十分引けたが、エピラは執拗に追いかけてきて、応急処置だけでもさせて欲しいと言って、嫌がるシマテを押さえつけ、自分のシャツの袖を裂き、道端に落ちていた木の棒を拾ってきて、骨が砕けた膝に手際よく巻きつけた。

 「暴れようにも、足が痛くて暴れられなかったのさ」

 モカレは、モアレそっくりな頭の振り方をした。

 「その後、酒屋の主人が第19集落へ送ってくれた。豆よりも、シマテの怪我をなんとかしないといけなかったからね。血は止まったが、骨は完全に粉々になっていた。19集落の医者がエピラじゃなくて助かったよ」

 一部始終を聞いて、黙っているモアレを横目に確認し、ニカは口を開いた。

 「どうして父さんは、そんなにエピラを嫌うの?」

 モカレは、力なく笑い、ニカの頬に手を当てた。湿っていて、分厚い、あたたかい手だ。

 「あとで戻ってきたら、父さんに直接聞いてみな」

 ニカは、2ヶ月ぶりの母のぬくもりと鼓動を、頬いっぱいに受け取った。

 (つづく)

創作メモ

物語を作る際に、ぼんやり考えたことや裏話などを書いています。ほとんど雑談です。今回は嫉妬するコンテンツと『進撃の巨人』について。

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