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深夜の松屋は、異世界である。

皆様は牛丼チェーン店の中で、一番のお気に入りはどこのお店だろうか。すき家、松屋、吉野家……大体この御三家が鎮座しているだろう。わしは間違いなく松屋一択である。
昔から「松屋の牛丼だ」という特有の味があり、絶対の安心感と安定感を提供してくれるからだ。

牛丼が食べたいなぁ」というタイミングが結構訪れるのだが、瞬時に「いや、牛丼じゃないな。あくまで松屋の牛丼が食べたいなぁ」と変換される程度には好きだ。もう十数年、他の牛丼チェーン店に浮気をしていない。

そんな愛してやまない松屋……「深夜の顔」を知ったのは、大人になってからのコトだった。


松屋は幼い頃から慣れ親しんだ店。
昼間に家族と訪れることもあれば、中高生の頃は部活帰りの日暮れによく通ったものだ。

魅力的なメニューは様々あり、一通り頼んでみたモノのやはり最終的にはノーマルな「牛めし」(他で言うところの牛丼)に落ち着いた。旨味と甘味のある特製つゆに、あえて大きめに切られた玉ねぎが乗っかっていて、飽きる予感を感じさせない中毒的美味さ。

いつ行っても、いつ食っても美味い
気づけばわしにとって、そんな実家のような存在となっていたのだ。
しかし、まだ知らなかった。松屋の深夜の顔は。


深夜の門をくぐる

成人。高校卒業後から大きく環境が変わり、慌ただしく慣れない日々が続いた。昔はしょっちゅう遊んでいた周りの友人たちも、自分たちのことで精一杯な様子だ。

継続が苦手なわしは、なるべく手っ取り早く、それなりにお金の貰える仕事を探し、地元からちょっと離れたバーでバーテンダーとして働くことになった。
バーテンダーと言っても、皆が想像する「カクテルをシャカシャカ」するような洒落たお店ではなく、カラオケのついた、ほとんどスナックに近いところだった。

この日の夜も、サラリーマンの酔っ払い集団をいなし、自分は潰れないよう飲酒量をギリギリに抑え、義務的に覚えた湘南乃風で喉が潰れるほど盛り上げ……ほとんど肉体労働だなと感じたのを強く覚えている。

この日は客の入りが比較的少なかったため、深夜二時頃に店が閉められた。
店を出るなり、野良のタクシーを捕まえ滑り込む。アルコールによる若干の気持ち悪さと、喉の疲労を抱えながら。家までは電車にしてせいぜい二駅。タクシーに乗り込んで心地よく揺られていると「もうすぐ布団で寝れるんだな」と肩の力もやっと抜けてくる。

…………

松屋の牛丼が食べたい。

もうすぐ家に着こうか、というところで突然思い出した松屋の二文字。

「すみません、ここで大丈夫です」

家まではおよそ徒歩10分ほどだろうか。街道沿いの道で降ろしてもらう。
いつもは何の気なしに通っていた松屋。久々の来訪、しかも深夜に一人というシチュエーションも相まって、得体の知れない高揚感に心が踊る。

ほんの少し歩を進め、明かりに照らされた松屋を見てふと気づいた。

そういえば、深夜に松屋へ訪れたことがない。

本来、早朝や深夜に営業しているコトが牛丼チェーン店の強みだ。実際、この時間に無意識に選択するほどだから、それは十分に認識していた。
しかし実際に深夜の門をくぐるのは、初めての体験であった。  

ガーッ。

自動ドアに指先を触れると、無機質な音とともにドアが開かれる。入ってしまえばなんてことはない。いつもの松屋の匂いだ。店内を見渡すと、既に牛丼を頬張っているパーカーの青年ひとりと、バイク乗りっぽいライダースーツのおじさんだけ。  
 
券売機にていつもの「牛めし(大盛)」を選ぶ。カチャン、カチャン、と作業の音だけが響くキッチンの奥には、外国人風の店員二人。

対面にもう一席がある、二人用の小さなテーブル席に腰かけ、牛丼の出来上がりを待つ。
……なんだか嫌にソワソワする。注文のシステムがセルフ化されたこともあり、ここまで店員とのコミュニケーションも一切無し。

「ここで座っていても良いのだろうか」と妙な不安感が襲う。しばらくして呼び出し音が鳴り、注文券を持ってカウンターへと向かう。

「お待たせシマシタ」
外国人風の店員の前に、トレーに乗った牛丼が現れる。いつもの牛丼。やはりいつ見てもテンションが上がる。

席に戻り、牛丼と対面する。不思議な感覚だった。いつもの牛丼であるはずが、その存在感は一際放たれている。

「……いただきます」
周りに聞こえるか聞こえないかの声量で手を合わせ、割り箸を割る。そして一口。

……美味い。

酒と疲労でくたびれた体に、牛丼の旨味が染み渡る。まるで脳内に直接快楽が突き抜けるような。

カチャ、カチャ。

牛丼を夢中になって頬張る。箸を運ぶ音だけが店内に無機質に響き渡る。静寂、美味、静寂。
いつも食べ慣れていたはずの牛丼だが、こんなにも真剣に向き合ったのは初めてだ。
 
「……ごちそうさまでした」
気づけば皿の中は空になっていた。牛丼の幸福と、熱で満たされた口内にコップの水を流し込む。この瞬間まで美味い。

「用済み」となったわしはよそよそしく席を立つと、出口へ向かう。外は秋の夜風、車も通らなくなった街道。わしはまるで現実世界へ引き戻されたかのように、家へと歩き出すのであった。

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