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話をすることの難しさ

私は話をすることがあまり得意ではない。

言いたいことがうまく伝わらなかったり、
話し始めても着地点を決められずに慌ててしまったり、
論点をまとめられず結局何が言いたいのか
自分でもわからなくなってしまったりと散々だ。

特に自分が苦労しているのは
「話の筋道を決めること」である。

日常生活での会話は特に不自由なくできている…と思う。
それは、話の流れが
ある程度決められているからではないだろうか。

「今日の授業は何限から?」
「昨日寝坊しちゃってさ」
「あの教授、課題多すぎだろ」

こうした話題を唐突に振られても、
ある程度 話のテンプレートはあるもので
それに沿って会話をすれば大きく転けることはない。

問題は自分に「話の方向を選ぶ権利」が与えられたときだ。

答え方のテンプレートが存在していない
「悩み事」や「内緒話」を聞くことは
正直 得意分野ではない。

本当に相手が
「何もわからないから1から10まで全部 示してくれ」というなら
お望み通り いくらでも相談に乗るし話を聞く。

しかし、
相手自身が求めている「答え方」があって
それに沿った答えを望んでいる場合は
できれば私に頼らないで欲しいと思う。

どれだけそれが悪手でも
相手が「そのままで大丈夫だよ」という言葉を望んでいる場合
すごくヤキモキしてしまう。

さて、そんなことをnoteで書いている今も、
当初書こうとしていた記事の内容とは
全く違うことを書いている。

そんなヤキモキする話を書きたかったわけではないのに
また結論を練り直さなくてはならない。

ただ、このnoteの記事を通して分かったことは
私は「話の筋道を決めること」が嫌いなのではなく
「相手が決めた話の筋道を察すること」が嫌いなのだろう

話の筋道が
お互い決まっていないような話なら
本当に何分でも何時間でも盛り上がることができるので

……ということなら、まあ。
ただ私の察する力が足りないというだけの話だ。

もしも全ての悩み事に
テンプレートのような解決策がついてくれたらいいのにな、と思いつつ

そうなればきっと
誰も私なんかに相談してこないんだろう。
とも思った。






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