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ひとりで演じるためのモノローグ

合同会社Boosterの三坂です。

新型コロナウイルス感染症の影響により、多くの公演やイベントが中止・延期となっています。私が関わっているのは演劇という分野です。
演劇は、創作をするために集まり、公演をするために集まる・・・という特性上、今の状態では公演をおこなうことができません。稽古もむずかしいです。

そんな中、映像配信やオンライン上の公演がおこなわれていることで、演劇のようなものに触れることができるのはすごくうれしいし、作品それぞれを楽しめます。
でも、演劇公演の映像を配信したり、オンライン上で公演をおこなうことだけが、演劇という表現を使って今できることではない気がするな・・・と感じました。

そんな中、「#うちで踊ろう」や「#うたつなぎ」など、音楽を使って触れた人を励ますような動きをみて、演劇でもこんなことができたらいいな~!と思いました。

私にとって「演劇」とは舞台芸術の一種で、「舞台芸術」は、

1)生産と消費が同時におこなわれる
2)同じ場所にいて「感覚が共有できている」と感じられる

というものです。ですが、今、集まる場所への扉は閉ざされています。
ただ、それは音楽のライブも一緒です。

音楽にはCDやストリーミング等で音源に触れることができます。
演劇ではDVDや映像配信などで演劇公演の映像に触れることができます。

音楽のCDを聴くと「あ~、音楽を聴いたな~!」と思います。
演劇のDVDを見ても「あ~、演劇を観たな~!」という気持ちにはなりません。「あ~、演劇のDVD見たな~!」と思います。
でも、音楽のライブ音源CDを聴くと「あ~、ライブ音源聴いたな~!」と思います。あと、おそらく音楽のCDばりに編集された演劇のDVDを見ると、映画やドラマを観たような感覚になりそうです。

ここらへんに違いがある気がします。

たぶん、私の中では「音楽の演奏をするライブや公演」は「舞台芸術」の一部なんだろうと思います。音源の状態の音楽とは別のもの。
では、舞台芸術の中で演劇だけが持っているのはなんだろう?と思ったら、

3)登場人物の状況や感情について演じること

かなと思いました。さらに深く考えていくのも楽しいのですが、いったんここで止めます。
とりあえず、「演劇」については

1)生産と消費が同時におこなわれる
2)同じ場所にいて「感覚が共有できている」と感じられる
3)登場人物の状況や感情について演じること

というものだと仮定しておきます。

今、演劇という表現を使ってできること

「#うちで踊ろう」や「#うたつなぎ」が人を励ますのは、音楽だからでしょうか?確かに音楽はかなり人の感情に作用します。行動心理学とかで調べると、音楽が感情や行動を誘導する効果があるという文章がいろいろ出てきます。
でも、「音楽だから」というよりは、「音楽を演奏するという行為で励まそう!」としていることに励まされているのではないかと思います。
つまり、「離れていても大丈夫」というようなことかなと。今、音楽や演劇にとどまらず、文化芸術に関わる人たちがやっていることは、「離れていても大丈夫」と励ましてることが多いのかなと感じました(2020年4月17日現在)。

演劇でも同じようなことができたらいいな~!と思いましたが、はたして私は演劇で「離れていても大丈夫」と励ましてほしいのか?と考えた時、ちょっと違和感がありました。
たぶん、私は演劇という表現を使って「離れていても大丈夫」と励ましてほしいわけじゃなさそうです。

何をしてほしいんだろう・・・とモヤモヤ考えていたのですが、「離れてると悲しい」に寄り添ってほしいんだな!と気付きました。
演劇を使って「離れてると悲しい」に寄り添ってもらうために、どういうやり方がいいのかな~と考えている中で、とりあえず思いついたのは「俳優じゃない人に演じる機会を提供し、演劇を使って悲しさに寄り添う」でした。

ひとりで演じるためのモノローグ

音楽が「音楽を演奏するという行為で励まそう!」としているように、演劇は「演じるという行為から悲しい気持ちと向き合ってもらう」がいいかな~と思いました。

でも、俳優でさえ「ちょっとやってみてよ」と言われても困るのに、俳優でない人に「はい、じゃあ演劇してみて!」と言ってもなんのこっちゃです。
そのため、俳優じゃない人に演じる機会を提供するには、何かの仕組みが必要だと思いました。そこで私が考えた仕組みは以下の通りです。

俳優でない人が自分一人で「演じる」をやってみる

演劇は観る-観られるということが必要ですが、「演じる」なら一人でもできます。モノローグなら、一人でも大丈夫です。

参加方法:俳優でない人

興味を持ったら、俳優かそうでないかは気にせず、演じてみてほしいです。舞台に立ってチケット代をもらって公演をおこなうことにはたくさんの努力が必要ですが、ただ演じるだけなら、誰がやってもいいし、だいたい誰もが経験しています。

ごっこ遊びのつもりでやってみてもいいし、じっくり一つのテキストと向き合ってみるのもいい。誰かに見せたくなったら見せてもいいし、自分だけの体験としてしまうものいいと思います。演じた時に浮かんだ自分の感情と向き合ってみると、少し息がしやすくなるんじゃないかなと思います。

参加方法:演劇関係者

このひとりで演じるためのモノローグをおこなうために、演劇関係者は何ができるでしょうか?
とりあえず、こんなことができるかなと思いついたのは以下の通りです。

劇作家
モノローグのテキストを書く。
どんな長さでもいいですが、俳優じゃない人が家で(もしくはどこかで)1人で演じるものなので、長くてもA4用紙1枚分くらいがいいのかな・・・と。
演出家
モノローグを演じるためのヒントを提案(声に出して読む・心の中で読む・立って言う・座って・・・とか、いろいろ)
俳優
モノローグを演じるために必要なウォーミングアップや演じた後に現実に戻るフック、けがをしない方法の紹介など
舞台監督
ご近所迷惑にならないようにしつつ思う存分演じるためのアドバイスとか?
照明、音響、衣装、ヘアメイク、舞台美術、小道具
それぞれの分野を使って、どうモノローグを演じることができるかの提案

デザイナーならばすてきなロゴや架空のチラシを作ってしまうのもいいだろうし、制作ならばモノローグの一連をいろんな人に届けることをやってみるとか、舞台公演でやっていることの応用でいろいろできそうだな~と思いました。

とりあえず私は制作なので、「こういう形はどうですか?」と、提案の記事にまとめてみました。
ここからどうやっていこう・・・というのは、まだこれから考えていきます。

ひとりで演じるためのモノローグ

について、興味を持った方がいらっしゃれば、一緒に広げてもらえるとうれしいです。

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