見上げればいつも四角い青空#23 夜に美しく咲く花に魅せられて
しゅるるるるるるーーー……、ぱーん
夜空にまさに花が咲くかのように光を放つ花火は、目に届いた後に音が遅れてやってくる。疲れ目に栄養補給している気分だし、音が光を追いかけて後ろから肩を叩く感じも好きだ。
そして何をおいても、光と音をライブで楽しむことでしか得られない経験がそこにはあるから、花火は映像ではなく、圧倒的にライブで見たいと願う。
ボクが夏のイメージをマインドマッピングすると一番初めに登場するであろうイメージは花火だ。
その響きには心が抗いきれず、魅せられる。
最近の花火大会で“最大〇〇連発”みたいなワードが踊るのは、空が明るくなるほどの連発で上がる花火が世の中のニーズなのだろう。
ただ連続で打ち上げられてしまうと、“今“上がった花火の余韻も、”次“の花火への期待も充分に味わうことができないので、残念に思わなくもない。
余韻を楽しみ、次の花火の期待を持ちたい、と願うのは、子どものころ、無邪気に花火職人という世界に憧れたからなのかもしれない。
憧れで語れるほど甘くはないことは充分に承知している。厳しい世界に違いないことも容易に想像できる。歴史に積み重ねられた技術を自身でも突き詰め、次の技術や技法に昇華させることに大げさではなく命をかける。
夏の一瞬一瞬の美しい姿に光が当たるけれど、夏を迎えるため、その他の秋冬春をかけて準備する、そんな職人の生き方が憧れだった。
そんな生易しいものではないし、美しいことや楽しいことばかりではないだろうが、一瞬に懸ける姿が尊いと思っていた。すっかり怠惰なサラリーマンになった今でも、「そんな未来があったのかもしれない」と想像したりするのだ。
今年の夏は花火大会で花火を見る機会には恵まれず、そういう意味では少し残念な夏を過ごした。
最近は夏にとどまらず、冬の澄んだ空気の中で見る花火大会もある。
今年の残り4か月足らず…ボクに美しい花火を見る機会は訪れるだろうか。
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