misato

「ことば」と「食べる」を支える仕事。そして、二児の母。ほぼフルタイムのシングルマザー。

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「ことば」と「食べる」を支える仕事。そして、二児の母。ほぼフルタイムのシングルマザー。

最近の記事

母親とは身勝手な生き物。

世の母たち、妻たちがいう旦那の愚痴はよくわかる。赤の他人と家族になったのだからいろいろある。 「育ってきた環境が違うから~」 って山崎まさのりも言ってる。 でもシングルのわたしに 「ひとりは楽でいいよね」 って言われるのはなんか違う。 いや、もちろん自分で決めた。 シングルになる道はわたしが決めた。 元夫は最後まで嫌がったが押し通した。 ただシングルの生活は楽じゃない。 経済的にも精神的にも。 じゃあ、元に戻る? って言われたら絶対いやと言う。 どんだけ辛くても今の生

    • 我が子のこれからに願うこと。

      娘が小学校、息子が幼稚園に進学して、あっさり1か月が過ぎました。慌ただしく過ぎました。あっという間でした。小学校に関しては運動会さえ終わりました。 2人ともそれぞれの新生活を楽しんでいるようです。 そしてわたし自身が子どもたちに望むふたつのことがあります。 とにかく友だちと遊ぶこと。 わたしが愛してやまない佐々木先生はあらゆる友達遊べる期間は意外と短いと著書に記されています。 というのも、一人遊びや並行遊びから友達と遊べるようになるのはおおよそ3~4歳。その後小学校にあ

      • 今年読んだ本で一年を振り返る。

        今年最初に立てた目標のひとつ。 『年間50冊の読書』 達成しました! 読んだ本のタイトルをずらーっと眺めていたら、やっぱり自分の思考の傾向というか求めているものというか、みえてきた。少し掻い摘んでみましょう。 子どもの脳を傷つける親たち/友田明美 年明け早々なかなか濃いものを読んでしまった。マルトリートメントという概念。不適切な養育と訳される。胸をちくちく刺されるようだった。その不適切によって子どもの脳は変形するということが証明されている。中でも、虐待といえば身体的虐待

        • 一生背負うかと思うと息が詰まる。

          ほとぼりが覚めたので言語化しておこう。 離婚で揉めている時、毎日何十通とLINEが届いた。内容は実家に逃げたわたしを責め立てるものばかり。「俺を置いてよく逃げれたな」「そんな精神保てない人間に親権なんて考えものだ」「すげえなあ、よくこんな酷いことできるもんだね。相手が傷つくこと平気で言えるんだね」そんなものが毎日毎日数時間おきに何十通も。 ブロックしたかった。とことん縁を切りたかった。しかしこの時は離婚前だったのである日突然保育所に迎えに行くのではないかとハラハラしていた

        母親とは身勝手な生き物。

          少し理想に近づけた日

          朝、撮って頂いた七五三の現像写真を受け取りに行くところから始まる。 まだパジャマ姿だったのはわたしだけ。 子どもたちはすでに顔も洗って着替えてる。 「やることやってからね!」が平日のわたしの口癖なので、子どもたちに身についてしまったらしい。規則正しい生活は大事だが、家は合宿所ではない。こういうやり方で身についてほしいわけではなかった。 しかし、こうして子どもたちのしたいこと、話したいことを遮っているのだ。この余白時間って必要不可欠なはずなのだが。この余白こそコミュニケーショ

          少し理想に近づけた日

          シングルマザー、フルタイムの宿命。

          とうとう児童扶養手当の支給停止通知がやってきた。いつかはこうなると思っていたが、結構早かった。 支給停止になるくらいの所得があるというわけなので、仕方がないといえば仕方がない。ただ、決して生活に余裕があるわけでもない。 おまけに公務員だ。 「だったら、何の文句があろう」 そう呟かれそうだ。 わたしが悲しいのは金銭的余裕がないということだけではない。支給停止通知が「お前はもう大丈夫だろう」という烙印を押されたみたいで少しショックだった。 全然大丈夫じゃない。 この道

          シングルマザー、フルタイムの宿命。

          あなたのせいじゃないよ。

          わたしは昔、滲出性中耳炎で小学校4年生くらいまでもぐってはいけないといわれていた。鼓膜切開し、チューブをはめているため、耳に水が入ると鼓膜の奥まで侵入してしまいからだ。プールの時にはいつも耳栓を持たされた。「顔の表面だけね」と母に言われた。 ・・できるわけねえじゃん。 さらに一年生の時にはとびひになってしまったためにプールに入ることさえできなかった。 しかし、その後小学校5年生には泳げるようになり、このワンシーズンで25m泳ぐことができ、郡の大会に連れていかれ、お初の飛

          あなたのせいじゃないよ。

          優しいママになりたい。

          優しいママってどんなママ? 子どもを怒らないママ? いつもニコニコでいられるママ? 子どものやりたいこと何でもやらせてあげられるママ? では、優しいママになるためにはどうしたらよいのでしょうか。 子どもを怒らないように我慢すること? 感情押し殺して笑うこと? 自分のしたいことは二の次にすること? 優しいママの先にはなにがあるのでしょうか。 そもそも優しいってなんでしょう。 多くの人が人のために何か施している人に対して優しい人と言います。 ひねくれ者で申し訳ありませ

          優しいママになりたい。

          10年前は実習生だった。

          10年前の今頃、おそらく実習も折り返し地点ではなかっただろうか。 10年経っても実習中に出会った患者さんのことを覚えているもんなんだな。と最近、当時の記録見返してそう思った。 そんなことを考えていると今の自分がどうなのかとやはり振り返ってしまう。近頃は心身の状態が少々不安定なので、妙にセンシティブになってしまう。 実習中は大叔母(母方の祖母の妹)夫婦宅に住まわせてもらっていた。朝5時に起きて、電車を乗り継ぎ2時間かけて病院へ行く。1日実習を終え、また2時間かけて帰ってきて

          10年前は実習生だった。

          摂食障害の過去。

          自分にしてはとんだタイトルをつけたが、事実。 先日、ドラマ「リエゾン」で取り上げられていた摂食障害。新聞などでは記事を目にすることもあるが、摂食障害は当事者にとってもその周囲の人々にとってもかなり深刻な問題。 精神疾患の中で致死率1位の疾患である。 痩せすぎると入院させられることもある。 高校三年生のとき、受験のストレスで拒食症となった。この一年で11kg痩せた。きっかけは単純だった。「受験勉強に集中したら、体重増えるなー」バレエのおかげでそこそこの量を食べても太ることの

          摂食障害の過去。

          母親たちの孤立を救った人。

          まだ私たちが子どもだった頃、ワンオペ育児は当たり前だった。父親が仕事で遅くなることも当たり前。母親がご飯を食べさせ、お風呂に入れる。保育園の送り迎え、呼び出し時の対応、病院への通院。何の疑問も持たずに当たり前のように母親たちがやっていた時代。 なので、子どもがいくつもの予防接種を打ったことを父は知らない。父はといえば、休日遊んでくれる人。(まあ今みたいに休みの日くらい休ませろよ、的なのより、平日は子どもたちと触れ合える時間がないから休日くらいはせめて…という父たち多かったよ

          母親たちの孤立を救った人。

          わたしをコミュニケーションの仕事に導いた人。

          中学生のころ、1リットルの涙というドラマが流行った。放送日が修学旅行と被った回ではどの部屋もみんなが見ていた。そして泣いていた。 脊髄小脳変性症『次第に体が動かなくなる病気』と紹介されていた。当時ALS(筋萎縮性側索硬化症)は知っていた。だから、それ以外にも動かなくなる病気があるの?という小さい疑問があった。当然今なら説明できる。体が動かなく神経難病は山ほどあり、大学時代は他人事と思って勉強しないと心がついていかなかった。 亜也ちゃんの日記に心打たれた中学生の自分は原作本

          わたしをコミュニケーションの仕事に導いた人。

          母とわたし、わたしと娘。

          わたし、幼児期に母に笑いかけられた記憶がありません。思い出せません。肌のふれあいを思い出せません。 わたしは無駄に記憶がいい人間です。 見聞きしたもの、結構事細かく覚えているので、人間メモ帳と呼ばれていました。 名古屋の地下鉄で見かけた人を数日後、別の場所(人混みの中)見かけて「こないだ地下鉄乗ってた」て友だちに言ったら気持ち悪いと言われましたが、決してストーカー的でなく、こういうの日常茶飯事なんです。 言った言ってない論争は基本勝てます。 ただ、正直疲れます。 嫌な

          母とわたし、わたしと娘。

          伝え合うことは当たり前だけど、いつまでも当たり前ではないということ。

          言語聴覚士はコミュニケーションのプロです。 言語聴覚士ってどんな仕事?て聞かれたら、そんな生意気なこと言ってた時期もあったかな。新人時代に言うてたからまあまあ恥ずかしい思い出のひとつ。 今はシンプルに 「話すこと聴くこと、食べることのリハビリ職です。」て言うことが多いかな。 わたしがこの仕事に絶対なる!て決めたの高校生のとき。祖父が脳卒中後の誤嚥性肺炎を繰り返して胃瘻を作ったことがきっかけでした。(言語聴覚士を知ったのは小児発達きっかけで、別の2つのきっかけがここで混

          伝え合うことは当たり前だけど、いつまでも当たり前ではないということ。

          わたしはこうしてシングルになりました。

          SNSでみかける家族写真。いいよね。 あ、嫉妬してるわけじゃないよ。これほんと。 夫婦仲睦まじい姿は羨ましいと思う。 だけど嫉妬はしてないよ。ほんとに。 自分にとって相手がそういう相手じゃなかっただけのこと。 結婚して1週間も経たないうちに嘘発覚。 彼の財布から見知らぬカードが出てきた。 カードローンを組んでいた。 「結婚費用のため…」と言ったが、結婚費用として出てきたことはない。 そのお金は虚しくもギャンブルに消えた。 ◯時までと約束して帰ってきたのは片手で数え切れ

          わたしはこうしてシングルになりました。

          シングルになった今。

          シングルになりました。 子ども2人とわたしだけの生活が始まった。 秋頃から思うように動けなくなり、仕事は這うように行く。もちろんできない日があった。ストレッチャーで運ばれたり、処置室で休んだり。ついでに車も擦った。仕事と子どもたちのこと以外はほとんど横になる。 人と話すのも嫌。ちょっと前にお気に入りノートを買って勉強意欲に湧いていたのに、全く何もする気になれず。だけど、何もしない毎日がかえって虚しくもなった。 ストレスが原因だと気づいたのはつい最近。 治療と環境変化のお

          シングルになった今。