生活の中で気づいたこと 1
こんばんは。misa です。
久しぶりの投稿になりました。
書くことをまとめて整理しようと思うと下書きで終わってしまったり助走が必要で言葉にする前に失速してしまったり…
やっぱりあんまり背伸びをするものではないと思ったので徒然と書きます。
徐々に成長する(かもしれない)私の発信を見届けていただければ幸いです。笑
頭の中にある細切れのスレッドストックが 今日 ふと浮かんだので 書き残しておきます。
見た目は美しくないけど元気なうちの畑の野菜たちのようにエネルギーを蓄えた言葉になりますように。
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なんかきになること すきだなとおもうこと
それを掘り下げたり アンテナを張ってとりいれていったり
自分の体験にそういうものを重ねていくと
驚くほどの追い風をあびて物事が進んでいく流れを何度か体験した
重要なこと優先するべきことって強い正義のように見えがちだけれどそこをしていくのにどうも阻むものが多いのだとしたら…
何かが 違う のでは。
この今の情勢のなかにも 無理や不自然がたくさんあるなら
前提が違う可能性 を視野にいれていたいなあ。
色んなことが起きる毎日でも地に足ついていられることはとても大切だけど何かに没頭しすぎると歯磨きをしなくてもいっかって寝てしまうことがある。笑 でもそのあと、できなかったことで自分のだめだしをするのか、それともあの気持ちよさのまま眠れに落ちれたことをラッキーと感謝して受け取るのか。そんな些細な一つ一つが積み重なるのが生活なんだよなあって。
取るに足らないことを できる限り丁寧に取り扱うこと
「karmayogaで大切なことはattitude」とスワミジは教えてくれた
大切なのは心の置き所
わたしがたくさん失敗してきた自分の体調管理
食べることは毎日のことで大切なこと
わかっているけど 日常のことすぎて
少し余裕がなくなったり 何かに入れ込んでしまって
意識が生活に丁寧に向けられないと 雑におろそかになってしまいがち
けどすべてはバランスでさ 食べることにエネルギーを使えないこともあるいつもかも身体に良い完璧なものを食べなくてもいい
もしも気持ちを喜ばせるものなら それに感謝して頂いたらよい
それも丁寧に取り扱うこと
そして自分を調えることに意識が向いたら
必要なものを必要なだけ摂ることをよく考える
一般常識に縛られていないか
自分の必要な栄養は何か どのくらいか
例えば 感じることは
「朝から晩まで雑踏の中でめまぐるしい仕事がある日と自宅でヨガや歌を歌って自分のペースで過ごせる日とでは必要な食事量は違うということ」
「たくさん食べたら栄養が取れるとは限らないこと」
取り入れたもののなかで自分が吸収できたものが自分の栄養になる
栄養が多い物を少しだけ食べて消化力を無駄遣いしないことが
自分のエネルギーを大切にできること だったりもする
見た目、見かけ 決まりや数字では判断できない
内側をみる
ー食事の内容も
ー自分の状態も
痩せていると 栄養足りてないんじゃない?と 思いがちな人もいるけど
ヴィーガンやベジタリアンの人、マクロビの人は
見た目が細くても内側のエネルギーが高い人って多い
活動量が多くなくてもひとつひとつの行動に意識が高い人が多かったりする
何がよさなのかも 目に見えるわかりやすいものにとらわれずに しっかりと判断していけると
自分の本当に良い状態にきづいていけたりするんだろうなあ
きっとそこに繊細に気づくことをおろそかにしがちなわたしをみかねてアレルギーという体質を与えて そこに意識を向けるように運ばれているのかなあなんて思ったりしてね。
だからハンディが強みで ツイてないことが幸福で 不公平が公平なんだ
全てのものごとは絶妙なバランスで成り立っているから一喜一憂せず判断せず気づきながら自分をうまく乗りこなすだけ。
ほんとに徒然。つぶやき風なのに 長い。笑
でも 表現できたことに 感謝でいっぱいです。
おやすみなさい。
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