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田舎移住して初めての花火大会 私は今年の花火大会を一生忘れない

米津玄師さん作詞作曲の「打上花火」にこんな一節がある。

「あと何度 君と同じ花火を見られるかな」
って 笑う顔に何ができるだろうか

DAOKO「 打上花火」の歌詞より引用

この歌の背景はなにも知らないのだけど。4年ぶりの花火大会の帰り道、ベビーカーを押しながら思い出した。

自称「夏女」だから、花火は私の夏に欠かせない。けれど今年の花火大会はこれまでの人生で1番、とにかく胸が熱くなった。

「4年ぶり、4年ぶりの花火大会です!」

私たちが田舎移住した小さな海の街でも、4年ぶりの花火大会が開催された。

「やっぱりこの街の夏は、海と花火がなくてはならない存在でした!!」

花火が始まる直前のアナウンスは、ぐっと言葉を詰まらせながら熱すぎる想いを込めて語られた。

コロナの影響で出来なかった花火大会。どれほどの人が待ち侘びたか。どれほどの人が、今日を楽しみにしていたか。

これまでの人生で花火大会のアナウンスなんて聞いたことがなかったのだけど(ごめんなさい)。今年は鳥肌が立って、いてもたってもいられない感情で。

小さな小さな1歳の娘の手と一緒に、泣きそうなのをこらえて全力で拍手した。

だって、私はずっと花火を楽しみにしていたから。

夕日に向かって花火の会場へ
本当はさ、行く前から泣きそうになったの。

ママ友と話した「出産からずっとコロナ」ということ

他の誰しもが、あの制限化でいろんな想いを抱えていたと思う。そのなかで、私たちはちょうど「出産からずっとコロナ」の世代。

泣き止まない赤ちゃんを抱えて、頼りたい施設はみんな閉まっていた。度重なる行動制限に、遠く離れた実家には帰れなかった。
未だに、施設に入っている夫の祖父には3歳の息子を会わせることが叶っていない。

ただでさえ何もなくても、産後うつになりやすく、孤独になりやすい出産直後。息子のときも娘のときもコロナの影響で出産の立ち会いができない上に、入院中は面会すら一切禁止だった。

もちろん、病院内もママ同士の交流はできず、助産師さんの口元はみんなマスクで隠れていてよくわからない。あんな薄いマスク一枚を隔てて、優しい声の助産師さんですら、どこか遠く感じた。

せめてマスクがなかったら、助産師さんの笑顔が見れていたら、もっとずっと心強かったかもしれない。

この感情は、同じ時期に出産した私たちにしかわからないものだと思う。

でもそれは、ほんのごく一部の話。あの行動制限によって出来なかった多くのことに、それぞれに積もり積もった想いがあったことだろう。

夫が屋台で買ってきた
アンパンマンのお面

だから今年の花火は、とにかく会場がひとつになって拍手喝采だった。この一体感に、鳥肌が止まらなかった

小さな海の街だからかもしれない。けれど、都会の大きな花火大会でも、そうだったのではないだろうか。

3歳の息子と初めての花火大会

コロナが始まると同時に生まれた息子。そんな彼と並んで見た初めての花火大会。私は今日の花火大会をこれから先ずっと、一生忘れない。

初めて見た彼は、口をあんぐりと開けて目を輝かせた。

「大きいね」
「おおきいね」
「綺麗だね」
「…きれいだね」
「キラキラしてるよ!」
「……きらきら………」

あと何度、きみと同じ花火を見られるだろうか。
きみの笑顔のために、私には何ができるだろうか。

夫の腕をギュッと掴んで、息子の表情に2人で笑い合った。

夫が2個も買ってきた、一個千円のアンパンマンのお面には衝撃だけど。(なぜなら、私はベビーカステラをお願いしたのだ。ベビーカステラ、どこいった…この人、またポカン発動したな…)

今年の花火大会、もし行くか迷ってるなら絶対に行くべきだ。

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