《ふるさと》はどこにあるのか
東京のとあるデパートで、北海道物産展が盛況だったらしい。地方の名物を近くのデパートで購入できる、とてもいいイベントだと思う。
それだけでなく、街にはさまざまな地方の「アンテナショップ」があり、名産物を売る場として活用されている。
ある日、駅の構内で、臨時の物産展をしているところを見かけた。確か、東北地方のものを取り扱っていたと思う。
その垂れ幕には、「ふるさとのあじ」と書いてあった。
そこで、疑問がひとつ。
「果たして、このイベントは東北を《ふるさと》として持つ人に訴求しているのだろうか?」
ふるさととは
ふるさとを辞書で引くと、こう出てくる。
②自分が生まれた土地。郷里。こきょう。(広辞苑)
なるほど、そう考えると、やはり東北出身の人に「ふるさとのあじ」を楽しみませんか?と訴求しているように思える。
しかし、これは不思議なことだが、東北出身でない人もこの《ふるさと》に反応するのではないだろうか。
この言葉には、一体どんな魔法があるのか。
ふるさとのイメージ
ふるさと、と聞くと、のどかで緑の深い山のイメージとか、家族や親戚が住む地域とかを思い浮かべる。
このイメージは、程度の差はあれ、多くの人に共有されているのではないだろうか。
例えば、私自身は神奈川に生まれ、ずっと神奈川で育った。その意味では、私のふるさとは《神奈川》である。
しかし、それ以上に、私の中でふるさととして想起されるのは、祖父母が暮らす《秋田》である。
年に一度、夏に少し帰省するだけで、住んだことはない。しかし、私の中の《ふるさと》はここだと思う。
みんなイロイロ、頭の中のふるさと
多くの人が、《ふるさと》を持つ。
もしかしたら、捨ててしまった人もいるかもしれないが、そのイメージは必ず頭の中に残っているはずだ。
無意識の中に立ち現れる、ふるさと。
そんな《ふるさと像》が宣伝文句で刺激され、私は思わず改札に向いていた足を、物産展会場に向け直してしまった。
果たして、《ふるさと》はどこにあるのか。
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