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ランニングをはじめた

コロナをきっかけに取り入れた生活習慣の一つに、ランニングを始めたことがある。 結構こういう人は多いと思う、わたしも例に漏れず。

コロナ前に仲良くなった子に勧められて、最初は続くものかな?と思っていた。でも在宅勤務が始まって通勤時間がなくなったので、その時間が利用できるし、以前ランニング教室へ単発で2回くらい参加したきり眠っているランニングウエアと靴もある。 自分はスポーツ的な活動(特にグループでやるスポーツ、一番嫌いなのがドッジボール、学生時代のトラウマが蘇る)が苦手だから、これまで積極的にやって来なかったけど、唯一持久走は得意だったな、、と昔のことを思い出して、ちょっと試しにやってみるか、と思ったのだ。 その仲良くなった子に宣言して、後に引けない状態にして。

やってみると、最初はやはり簡単に息が上がってしまって、すぐに歩いてしまう。でも、コロナ前は全く歩いてこなかった駅と反対側の道に、意外に自然が多い、川のせせらぎが聞こえて気持ち良い。 こんな道があったんだーと小さな発見がたくさん。 長い間、ここに住んでて、ちっとも気がつかなかったことに勿体なさを感じた。  

走っている間は、わたしはいろいろなことを考えてる。 

無になる人もいるかもしれないけど、わたしはその時考えている・悩んでいることを考えて、自分の頭を整頓している感じ。 走っていると、なぜか、ちゃんと自分の気持ちが立ち上がってくる気がする。 モヤモヤした気持ちから、キリッとした心の状態へ。 だから、気持ちがざわざわしてる時に走ると、精神的にとても落ち着く。

そんな感じで、4月から始めたランニング、どんどん走れるようになって、今はほとんど歩かなくても大丈夫なくらいに走れるようになった。  始める時も、今は心理的な抵抗がなく、むしろ走ってないと気持ち悪いというきもちが、面倒くさいきもちを大きく上回るので、ちゃんと習慣にできたのだと思う。 習慣になるまでは自分に少し頑張ってもらって、習慣にすればあとはやるだけ。

苦手だから、とか、時間がないから、と言い訳をして避けてきたことでも、やってみると意外にすごく得意だったり、面白かったりすることってあるな、というのが、ランニングをしてみて痛感したこと。 もちろん、闇雲になんでもやってみるのも時間の無駄ではあるけど、自分が向いていることに気がついて、それを育てていく、っていうのは楽しい。 もちろん、向き不向きがわかるには不向きなことをある程度やらないとわからないので、そこは判断が難しいな、と思うけど。

だから思い込みじゃなくて、勇気を出していろいろやってみると、自分でも気がつかなかった自分の一面や得意なことが、この年齢になっても見出せるんだな、と感じている今日このごろ。

最近は梅雨で走れる日も限られているけど、晴れてる日の夕暮れが、それはそれは毎日大変美しく、とても感動します。 この夕暮れを観に行くのが、走る楽しみの一つになっている。



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