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そして、これからも明日は。NHK特集ドラマ『アイドル』

この時期になると、ブービートラップのように『戦争』に関する報道を目にする。後世に引き継ぐべき大切な話ばかりなのだけれど、タイムラインがすぐ埋まってしまうほどの大量の『歴史の教訓』の濃度は数に反比例して薄まるばかりだ。

先日、八津弘幸さんが脚本を書いたNHK特集ドラマ『アイドル』を観た。

昭和初期に実在した劇場『新宿ムーランルージュ』で熱狂的な人気を博し、カルピスなどの広告にも起用された伝説のアイドル『明日待子』さんの史実を元に書かれたドラマである。

とても上質なドラマだった。
その時代の空気(もちろん僕は知らないのだが)と容赦なく人生を奪われていく者の心の機微を押しつけがましくなく表現している。それなのに一定の質量を持って心に迫るものがあった。これも演者の本質を引き出す谷津さんの脚本の力だろうか。

所詮は人がやることなのに『解放のための軍事作戦』も『自由を勝ち取るための戦い』も残念なことにその始まりを懇切丁寧に知らせてはくれない。

まるでオセロのコマが裏返るように昨日までの当たり前が音もなく静かに塗り変わっていく。気がついたら前にも後ろにも進めずにただ立ち尽くすしかない。

明日待子さんは2019年までご存命であった。本当についこの間まで僕と同じ時間軸を生きていらした方なのだ。これはドラマを観てからわかったことだが、ああ、そうかと思った。

これは、地続きだ。
明日待子さんという『アイドル』を映し鏡にした
現在の話なのだ。

客もまばらなある酒場で
僕はこの駄文を書いている。
店内に設置されたテレビからは
モンゴル800の『小さな恋のうた』が。

ライブ会場で一緒に歌い
コールに応えるオーディエンス。
ついこの間まで当たり前だった景色だ。

当たり前の大切ささえ
誰一人気づけなかった。
こうやって日常は浸食されていくのか。

明日待子さんは劇場主の反対を押し切り
外地にある戦地の慰問に赴く。

開演前、指揮官は待子に言う。
『これであいつらを笑って死なせてやることができます。』
待子は戸惑いながらも
多くの将兵が待つステージに向かう。

手の届かない『スタア』ではなく一人ひとりの
『アイ•ドール(私の愛すべき人形)』として。

明日必ず死ぬであろう人たちのために歌う。

何も特別な事ではない。これもまた日常だ。
兵隊にとられ、フィリピンあたりで
ひとりぼっちで戦死することも。

僕たちからすれば繰り返してはならない悲劇だが待子さんたちにとっては避けようのない地続きの日常。

誰もが等しく明日を待ち、運が悪ければ死んでいた。

劇中、夜通しの稽古を終えた踊り子さんたちが
朝陽の中で瓶の牛乳を飲みあう場面が心に残った。

大学時代、文芸学科のくせに映画サークルに所属していた。本当は演劇学科に入りたかったのだが叶わなかった。その気持ちが僕を自主映画にむかわせた。

劣等感を押し殺し、同学年の演劇学科の監督と一緒に映画を撮った。谷津さんは彼が自分の映画を手伝わせるためにサークルに連れてきたのだ。
彼は自分の映画のために何人もの後輩を連れてこれたが僕にはそんなカリスマはなかった。1本も監督はせず、ひたすら裏方に徹した。

夜通し編集した早朝、江古田駅前にあった『黒田武士』という名のカレー屋で真っ黒なカレーを食べた。その店のカレーを食べると何故だか眠気も疲れも吹き飛んだ。仲間うちでは『何か入ってるんじゃないか』と噂されていたカレーだった。

下宿していた柏の親戚の家に帰るため、常磐線に乗る。窓から差し込む朝陽がとても眩しかった。

ノスタルジーなのだろうか。
その時、僕は確かに、生きていた。

この世界で頑張ってないやつなんていない。
と劇場主は待子に言った。
ほんの少しのチャンスを掴めるかどうかなんだと。

そんな言葉にわずかな期待をしながら、これからも僕はずっと明日が来るのを待ち続けているのだろう。

あの朝から地続きの明日は
限りなく優しくて、残酷でもあるのだ。

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