自分宗教。人間の誕生
神は人の内に男と女、そして美を作った
人は男の部分と女の部分、それと美を持つ。それは神が人を人たらしめる一つの要素として加えた香料である。
男は女を対に、女は男を対に作られた。美は普遍的な感性である
それぞれの香料は各々の人々にとって独自であり、それぞれ固有の風味を備え、それは肉体的にも精神的にも個々で違う個体を創造し、豊かな人々を作り上げるよう考慮されたものである。
解説
男と女がいるというふうに説明される宗教は多いです。
ですが、実際観察してみると、きれいに男と女に分けられることはなく、人それぞれ男の要素と女の要素が固有の配分で備わっていることは確かです。
また、ここで言う男と女というのはあくまで生理的なものであり、実際に社会で育まれる男や女というものとは別物です。
神が作ったのは生理的なもので、その後人がさらに付随する性別を作ったというのが無理がない理解になるでしょう。
時折、インターセックスを引き合いに出して、ごく少数以外は男と女に分けられるのだから、男と女に分けられるに違いないと主張するものも見受けられます。
ですが、人間は性別で大きく身体が違うわけでもありませんし、性的二形が強い生物であっても誰もが典型的というわけではありません。
一般に、男性は背が高く、筋力があり、声が低いと言われますが、そこから外れる男性は珍しくないものです。あなたの周りを見渡すだけでもよくいると思います。それは女性もそうでしょう。
性愛が異性に向くのか同性に向くのかというのも、性愛について男性なのか女性なのかで説明がつくでしょう。
性別の自認についてもそうで、精神にどのような味付けがなされたかというふうに解釈できます。
物が好き、動物が好きというのは、美をどのように感じるかということで説明がつきます。
何を美しいと思うのか、それは性愛に限ったものではないのですが、今回は話をそれに絞ります。
美しさを何に感じるか。それは各個人がそれぞれ独自に持つものですが、美しいものに性愛を感じることは珍しくないでしょう。
非対人への愛は美しさがどのように振り分けられたかにかかっています。
最後に、これに抵抗しようとする試みは、そのように作った神を疑う行為です。戒められなければなりません。
誰かを明確に傷つける行為は避けなければなりませんが、他人が勝手に傷ついて糾弾する行為も非難されうるでしょう。
所感
このごく基本的なテキストは様々な聖典にありますが、長らくの思い込みによって誰かを迫害する歴史を辿ってきました。
このテキストはなんら珍奇なものではなく、むしろ観察を怠って、聖典はそうあるべきとは一言も語っていないのに、誤読して悲劇を産んでいると私は考えます
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