”日本は宇宙人の侵略を妖怪に守られている” という妄想話

駄文ですw
午睡していたらふと頭の中で繋がりました。



自国について自虐的に語るのはもはやお家芸のようにすらなっているが、一方で圧倒的に低い犯罪率、教育の普及、極めつけに豊かで類を見ない文化の価値は揺るぎないものである(むしろ海外からの評価のほうが高い)。

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姿を変えながらも何だかんだで”日本”程の強烈なアイデンティティーを維持している国はそう多くはないのではないだろうか。むしろ既に諦めて多様性が個性、と言い切る国は今後ますます多くなっていくと思う。



 今回、巷でよく聞く”日本人は新しい考え方を柔軟に受け入れられない”という噂の背景を考えてみた。結論を先に言えば実は”簡単に受け入れない”は”守ろうと侵略されまい”という防衛システムなのではないだろうか、というのが現在考えていることである


日本人の(家や組織を問わない)家族意識、仲間意識、和というものに対する重みをおく文化的特性は既に周知の通りである。
そんな文化的特徴が背景にあるので、

一見まっとうな言葉や理論を並べ、欧米諸国の表層的な部分と比較して劣等感をあおったり、また、自分たちの事をろくに知ろうとせずに(共通のコンテキストを形成せずに)行動や考え方を変えようとしてくる存在を侵略者の脅威として敏感に感じ取り、慎重になっているのではないだろうか。


”どうやって論理的に言い負かすか、納得させるか、何も言えないようにするか、論破するか” は現在も含めて議論や対話の方法論の中で注目をされている・・・が、これは俗に言うローコンテクスト文化と言われるコミュニケーションがほぼ言語のみで行われ、用いられる言語も明快かつ曖昧さがない文化で有用な手法である。

日本を始めとしたコミュニケーションが相手と共有した価値観、感覚といった文脈、背景に大きく依存するハイコンテキストな文化では十分に機能しない機会も高い。むしろ時間や機会かけて価値観や背景を把握(共有化)することよりも論理やデータ等を先んじてしまう場合、警戒され相手にされないことにもなりかねない。


値千金の失えば決して取り戻すことの出来ない唯一無二の文化や伝統技術は数多くある。私の家の近くにお世辞にもコミュニケーションが全く取れないサービス的な視点で言えば?な個人経営のラーメン屋があるが「⚫⚫したらもっとよくなるのに〜」なんて店主に言う発想はまったく浮かばない。



肝心のラーメンは無駄に長い待ち時間や店主の言葉遣いなんて消し飛んでしまうほどの、笑っちゃうほどの絶品で、変なコメントがきっかけで食べられなくなったり店を閉められようものなら、涙が出るほど後悔するのが目に浮かぶからだ。

(冗談として)そんなことを言えるとしても5年位通い詰めて、関係性が出来てからだろうなぁと思う。


 印象や関係性が悪くならないように”すごい!”と称賛したりもてはやしたり(時に流行になる)することは忘れない。でも真の意味で文化として取り入れる、にはものすごいハードルがあるのが日本だ。MARVEL映画が世界を席巻し、その集大成ともいえる、映画収入ランキングをシリーズ物の映画として初めて塗り替えた”アベンジャーズエンドゲーム”が公開され世界がお祭り騒ぎとなっていた最中に日本はどこ吹く風。

ランキング1位を飾っていたのは名探偵コナンである。マイペースにも程があって笑ってしまう。一方でラーメンやカレーライスなどもはや自国文化としていって文句をいわれないほどに研究し、こだわり、風土に合わせて洗練化させるのも同じ日本である。

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面白すぎてしょうがない、ジャンプ+で連載中の”ダンダダン”という漫画で”日本の妖怪が宇宙人から地球を守っている”というシーンが出て痺れたんだけれど、ものすごい科学技術をもった宇宙人が地球を侵略できないのは妖怪に勝てないからだ、と。自分は今回の構図に重ねてしまった(同25話)

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ダンダダン(第25話)より


日本は宇宙人に侵略されないよう(アイデンティティを失わないよう)妖怪に守られている。どっちが正しい・正義かなんてすぐに言えるものではないが、宇宙人も妖怪も双方共にクセがすごいキャラでなのは間違いない
(千鳥オチ)

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