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僕らが「やる気がない」といっていた学生達

対話型鑑賞を行うようになって感じるようになったちょっとしたメモ

私達は準備すればするほど、予測していたとおりのリアクションを示してくれると、私達は途端に機嫌が良くなります。

そして
「この子は優秀だ」
「見込みがある」
「お前も将来うちの正社員にならないか?」

NHK LIFE(割引の刃)

みたいな感じで感情が高まっていきます笑。自分なんか単純なので、そういう種類の反応があるところっとすぐ調子にのってしまいます。

一方で学生をみていて
・質問しない
・話を振っても発言できない
・そもそも参加してる感じがしない(教室にいない)

のような反応がある(もしくは反応がない)と、途端に

「あの子はやる気があまりないな・・・」

なんて表に出すか、出さないかはおいておいてラベリングしてしまうこと、いっぱいあったような気がします。

でも実は端的に言えばそれって、ひとまずの出発点は

自分が考えていた授業(教育)の流れに沿わない、発言しない、もしくは参加していない(私の主観)、などといった想定外の反応に対して自身がストレスに感じた結果

だと思うようになりました。

というのも「あまり発言がないな」「興味がないのか」と思っていた学生さんが少し間をおいて話をふると、別人のように思慮深く、饒舌に話し始めることもあれば、情熱と感動のほとばしって自分まで熱くなるようなレポートを書いてきてくれることもあります。

これは、今も持続的に開催している対話型鑑賞でも同様のことがあります。あれ、あんまり楽しめてないのかな?と思っていた方が後日、是非自分の職場でも取り入れてみたいので相談させてください、といった熱いアプローチをいただくことも実は少なくありません。

その逆もあって、すごく積極的に参加してくれてくださる方もその後は連絡が途絶えてしまい・・・なんてこともあります。

* 実は、意外と表面的な反応は当てにならない
(実は内心でじっくり熟考していた、考えや感動と向き合った結果、表にそれが出ていないなんてこともある)
* そもそも”何かに対する反応”の形態は人それぞれ
 言語化(発言)の得意な人もいれば、いない人もいるし、感情が表情に出やすい人もいればそうでない人もいる。以前はメモを取ることは一つのやる気の象徴のような固定観念がありましたが、対話型鑑賞を知ってそれも一つの向き合い方なのかな、と感じるようにもなりました。

俗に言う要領のいい学生と言われるのは、先生が何を学んでほしいか「空気」や「行間」を読んでくれる子だと思いますが、勿論それも社会生活で非常に重要だと思います。

ただ、授業はある意味では教師のエゴで考えるためのペース、時間配分などを押し付けてしまっている特徴も忘れては行けないと思います。即断するのが美、と考える子もいれば、じっくり数日かけて結論を出す子もいるでしょう。前述のように内に熱いものを秘めた子や、授業の内容や進め方に疑問をもち、何となく雰囲気に乗り切れていない子もいるかもしれません。


そもそも自分の授業の進め方が洗練されていない可能性もあります。

・使用している言葉や表現がわかりづらく、意図が伝わっていない
・ただ教科書に書いてあるようなことを読んでいるだけに過ぎず、たとえ話や将来への具体的な寄与の説明など、興味をもたせる工夫がたりない。

こんな可能性もないでしょうか(自分は心当たりがとてもあります…💦)


実は授業に集中できないような生活での困り事や関心があるかもしれません。そういったことまで考えて歩み寄れていたでしょうか。

授業の反応がよく、実際にその分野のテストの点数を高く取れる子がいてもそれは彼のテキストを使用した自己学習がメインであって別に自分の授業なんてそれほど寄与していないかもしれません
(最近だと、難しい分野を超絶わかりやすく、面白く話せる人の動画も簡単にアクセス出来ますし…正直そういう方々の努力は凄まじく・・・勝ち目はないとすら感じています)。


まだまだコンテンツも未熟ですが応援して頂けるとすっごい励みになります!