「努力」とかいう他人からのタグ
「努力」って何なんだろう。「頑張る」って何だろう。最近こんなことばっかり考える。努力をすると褒められる。でもそれは、その人が努力すべきことが普通である分野において、普通以上の結果を出した場合ではないだろうか。
自分で言って文章がわかりにくい。例えば、元の偏差値が偏差値50の高校生が、毎日勉強して偏差値60まで上げた。そしてその子は毎日学校に難なくかよっている。これは褒められる。その事について異を唱える訳ではなく、これは「頑張ったね」と言われるべき事柄であると思う。
でも、元の偏差値65の高校生が、特に勉強をせずに偏差値65をキープする。これは褒められない。別にこれが褒められるべきだとも思わない。そしてこの高校生にとって学校が苦痛で、頑張って週4日通っていたとする。本人としてはわりと頑張っているのだが、他人から見ると怠けているように見られる。だから、怒られる。
どちらも頑張っているのに。スペックだけで見たら後者も劣っていないのに。いつだって褒められるのは前者だけで、後者は怒られる。
まあなんでこんなことを書くかって、私が典型的な後者だからに他ならない。ちょっとした憂さ晴らし。勉強すべきで、学校に毎日行くべきなのだって知っている。たまには褒められたいなぁって。ただそれだけ。
幼い時から運動以外は何となくでできた。勉強しなくても平均以上にはいられた。途中から社会生活と人間関係が苦手になった。朝起きられない、教室にいるのが苦痛。昨日も学校に行かずに親に怒られた。そんな高校生が、1人みっともなく喚いているだけ。
結局「努力」は、他人のものさしで勝手に決められるものなのかな。
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