字幕監修者が語る!「追風者」
皆様はじめまして。「追風者」の字幕担当です。
字幕担当と言ってもゼロから翻訳したわけではなく、その後の仕上げの工程を担当させていただきました。チェッカーや監修者と呼ばれる役割です。
「追風者」の配信がいよいよ最終回を迎えます。
24日の東京上映会にお越しくださった皆様も、これからご覧になる皆様も、全38話という長丁場の最後まで「みるアジア」でご視聴くださり本当にありがとうございます。
語り尽くせぬ魅力の詰まった本作ですが、今回は字幕制作の裏側をご紹介できればと思います。
最終話までの若干のネタバレを含みますので、未視聴の方はご注意くださいませ。
■「先生」か「顧問」か「沈さん」か
「追風者」は1930年代の中国を舞台とするドラマです。時代背景や金融に関連したセリフの難しさもさることながら、私が特に悩んだのは「呼称」でした。登場人物が相手をどう呼ぶか、という部分です。
一例を挙げると、魏若来や黄従匀は沈図南のことを中国語で「先生(シェンション)」と呼んでいます。この「先生」は日本語の「先生」よりも幅広い意味を持つ言葉です。
指導的立場にある人に対して使う場合もあれば、MisterやSirのような男性に対する一般的尊称として使う場合もあるため、呼ぶ側と相手の関係性や状況によって訳語を変える必要があります。「老板(ラオバン)」「小姐(シャオジエ)」なども同類の悩ましい言葉です。
中央銀行時代、魏若来や黄従匀が沈図南を「先生(シェンション)」と呼ぶ箇所は、字幕では基本的に「顧問」と訳してあります。顧問=沈図南の役職です。
序盤の字幕をチェックしていた頃、この「先生(シェンション)」の訳語はそのまま「先生」でもいいのではないかとかなり悩みました。しかし「顧問」と訳せば誰を指しているか一目瞭然という利点もあり、初稿字幕のとおり「顧問」呼びで進めることにしました。
やがてドラマは進み、魏若来が中央銀行を去って、沈図南も央銀顧問の地位を失います。それ以降の呼称は現状、魏若来からは「沈さん」、黄従匀からは「先生」にしています。
元の中国語は「先生(シェンション)」呼びのまま中央銀行時代から変わっていないのに、字幕での呼び方を恣意的に変えるのはいかがなものか。やはり序盤から原音「先生」の箇所は「先生」で通すべきだったのではないか? いや、それだと第16話で師弟関係を結ぶ前から「先生」と呼ぶことになってしまい何だか微妙かも…。
ベストの字幕で配信したいという思いで常に作業していますが、呼称1つを取っても上記のように悩んでしまい、後から「ああすればよかった」と悔やむこともしばしばです。
テレビ放送やその後の展開に向けて現在も字幕をブラッシュアップ中ですので、ご覧になる媒体やタイミングにより、若干の差異があるかと思います。最初から完成した字幕をお届けできず心苦しいですが、何とぞご理解いただければ幸いです。
■暴力シーンや訳せないセリフ
前項では字幕制作の細かい部分についてご紹介しましたが、ドラマの中のセンシティブなシーンやセリフに気を配り、映像担当や営業担当に知らせることも私の役割の1つです。
本作は毎回が見せ場の連続ですが、視聴された方はご存じのとおり暴力シーンが盛りだくさんです(金融ドラマなのに!)。特に林樵松率いる捜査隊の拷問はかなり過激で生々しいものでした。
「みるアジア」の配信で元の映像をカットすることはまずないと思いますが、テレビ放送となると放送局様の判断によっては該当シーンをカットしたり、注意書きのテロップを出したり、字幕の表現を和らげたり等の対応が必要になります。
そのため今回も過激な暴力シーンや抗日表現については、事前に他の担当者と共有して対応を検討しました。
字幕の表現自体にも、会社によって方針の違いはありますが、放送禁止・自粛用語の制約があります。
例えば第36話で激昂した沈図南が林樵松にぶつける「你就是个疯子!疯子!(ニィジウシガフォンズ!フォンズ!)」(直訳:このキチ○イめ)というセリフもそのまま出すことはできず、字幕では「どうかしてる」「鬼め」という表現にしました。
このような表現の制約には正直なところ疑問やフラストレーションを感じることもありますが、作品がより多くの媒体で視聴されるためには必要な制約だと捉えています。
ドラマにとって字幕はあくまで添え物。登場人物の感情の大部分は俳優陣の演技や演出から伝わるものだと考え、それを邪魔しない字幕を作るよう心がけています。
※以降、最終話のネタバレを含みます
■「成長」か「変容」か
複数の兄弟(妹)の物語を組み上げた脚本の見事さ、康処長の林隊長への歪んだ愛情、熱々小籠包を口に突っ込まれた気の毒な医師の件、そして李晟達は本当に死んだのか等々…
一視聴者として書きたいことは尽きませんが、これ以上長くなるといけないので、最終話の印象的なセリフを引用して締めくくりたいと思います。
ドラマ終盤、魏若来のモノローグの一部です。
「血与火的锤炼把我从一个懵懂少年变成了坚定的革命者」
(シュエユーフオダチュイリエン バァウォ ツォンイーガ モンドンシャオニエン ビエンチョンラ ジエンディンダグーミンジャ)
初稿字幕の訳は、
「現地で鍛えられて 僕は無知な少年から革命家へと成長した」
配信用の字幕では次のように変更しました。
「血と炎の試練が 僕を無知な少年から革命家へと変容させた」
変更のポイントは直訳に近づけたことと、「成長」を「変容」に言い換えたことです。
「成長」と訳しても正しいですし、むしろ若来のモノローグとしてはそのほうが自然かもしれません。ただ、最終話までこのドラマを見てきた私には本作が単純な「成長」のドラマとは思えなかったのです。
若来の変化は果たして「成長」なのか、時代の強風による「変容」か。
皆様はどうお感じになるでしょうか?
それでは、最終話までぜひ「みるアジア」で「追風者」をお楽しみください。
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