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現実での宣伝とネットの宣伝の違い

現実での宣伝とネットの宣伝の違い

現実とネットは別世界。宣伝効果も当然別。
現実とネット世界と言う物は同時に存在していながら確実に世界の壁がある。つまりまあ、二つの世界があるわけだ。現実とネット。今そこにVRの世界が追加されようとしているわけだが、これについてはまた別の機会に。

さて、本題へ入ろう。現実の世界は宣伝すれば宣伝しただけ帰ってくる。それは僕の書いた他の記事を見てくれればわかると思う。宣伝とは水であり、短期的な販売促進剤だという事だ。しかし、考えて見てほしい。

ネットで宣伝して、なかなか見てもらえないということがあるだろう。一体どういう事だろうか。ネットの方がはるかに広大なのに。リアルだと有名人でもネットだと誰それ?みたいな人もいる。何なんだろうこの歪さは。まあ要するに世界が分かれているわけだ。

そんでネットの歪さは他の場所にも顕著に表れている。リアルで10人に宣伝すれば2~3人は反応してくれそうなものだが、ネットだと0なのだ。僕は物売りで3Dを作って売っているが正直最近辟易としている。クオリティは担保されていても誰も見てくれない。買ってくれないのだ。twitterで1000人はフォロワーがいる。だから正直宣伝効果も期待している。でもダメなのだ。誰一人としていいねもリツイートもしない。まるで見えていないかのように。

見えてないんじゃ?
そう落ち込んだ瞬間。この記事を書くきっかけが頭にひらめいた。そうだ。現実と違う。現実は広告の前を通れば100%目に入る。嫌でも大嫌いでも見ざるを得ない。少しづつ少しづつ毎日その場所を通るたびに慣らされていく。たいしてネットは?

ネットはすぐに消える

すぐに広告する権利を取り上げられるのだ。twitterで言えば流動性が高いということ。当然twitterはもとより広告活動に向いていない。新しい情報がつぶやきとしてどんどん垂れ流される。そりゃあ空の容器が満タンになってあふれ出す様に流れるのも時間はかからない。あれは今を生きる強者に向けてのツールなんだ。今現在認められていてブランドがあって発言に価値がある人にだけ使えるツールなんだ。

固定機能とかあるじゃん

固定機能とは確かに有用な機能だが、先ほども言ったようにtwitterは今を生きる強者だけに尻尾を振るのだ。過去の人やフォローをただ貯めているだけの人には意味がない。だって興味が無いんだから。当然プロフにもやってこない。誤解を恐れずに言うなら友達を除いてだが、twitterの本質は一方的な片思いが根底にある。相互フォローという概念がそもそもtwitterの機能として歪な物なのだろう。つまり私のような人は外部でコミュニティを作ってくるという発想でtwitterに呼びこまないといけない。個人的には嫌いなのだが、例として挙げるとオンラインサロンとかである。ちなみにただ子供の様に嫌いというだけで存在は認めている。非常に有用だ。

じゃあどうすればいいのだろう

youtubeもtwitterも【コミュニティを作って連れてこい】という発想で設計されていることが分かった。じゃあコミュニティを作るとはどういう事だろう。簡単に始められるのはオンラインサロン。もちろん責任は伴う。でも思い当たる内で一番出来そうな範囲だ。簡単に言えばファンクラブやサークル。部活に近い。興味ある人が寄ってきて興味あることをやるという事だけだからだ。それはコミュニティの核となりえる。核があれば果物の様にどんどん大きくなれる。でも僕は先ほども言ったようにオンラインサロン嫌いなんだ。だから別な方法を模索する。一応最終案としては取っておく。

オンラインサロン以外の方法を考える

有名になるにはそれなりの対価を払わないといけない。所謂名前を売らねばならない。コミュニティを作るに際して、その作り方で唯一にして最高峰のやり方がある。それは。無料で全てを配るという方法だ。結局のところ商品であれば使って口コミを広めてもらうにしても買われないと始まらない。しかしまさかの買うという点が最大の参入障壁となっている。だからこそブランド志向が止まらない。名前のあるお店の物を買って少しでもいい物を。安くていい物を買わなきゃと躍起になることでこの障壁が成立する。自分の中の価値と折り合いを付けられない人が多いという事だ。だからタダで配るという方法が取られる。正直オンラインサロンよりも嫌いな方法だ。タダで配る=名前は売れる。だが私のやっている3Dというのは一つ作るのに2~3か月かかる。仮にタダにします!で配布を始めて一時的に有名になるとは思う。しかし、その後の新作が出せなければただの開放損。何も生まれないどころか今まで利益を出す可能性を秘めていた商品が途端に0円。あとはゆっくり墓の中に遣っていくという寸法だ。

タダで配る以外の方法
ではタダで配る以外の方法は?嫌なんでしょう?とお思いでしょう。

無いかもしれないのだ。ネットではね。

現実であれば友達に配って使ってもらう。とか簡単にできる。現実であれば広告を打てば最大効率を考えた位置に配置される。じゃあネットは?グーグル広告は一瞬。動画の広告も一瞬。WEBページの端も一瞬。twitterも一瞬。全て一瞬。長期的に配置できる広告にはお金がかかる。そこはリアルもネットも変わらない。だが体感だ。体感が違う。ネットの小さいモニターの小さい広告よりも手元に同じぐらいの広告があれば現実の方を見る。ネットはそこが弱すぎる。だからこそタダという強力なワード以外に方法が無い。もともと無名の人が泣き叫んでも誰も見てくれないように。利益のある話をタダでぶん投げる以外興味を引く方法はないのだ。

広告について思う事

同じ料金なら僕は現実に看板を設置する方がはるかにマシだと思う。全世界のユーザーに発信できるという声も聞こえてきそうだが、我々が英語を読めないように日本語を読めない海外の方が圧倒的に多い。当然向こうもそう。そこにはローカライズという壁がある。英語ならまだしも中国語、韓国語、スペイン、ロシア語とかも正直わからん。であれば現地民である日本人のなじみがある自分の地区の人々に売った方がはるかに儲かる。コストを抑えるとはこういうことを指すのだ。ただ人件費を削ればいいという話ではない。

話を戻すが残念ながらオンラインサロンが嫌いならタダで配るしかない。利益が無ければだれも近づいてこない。利益よりも少ない代償を払うことにすら今の日本は敏感になっている。100円の物を買って200の利益を出すよりも0円で1000円の利益を狙っている。タダで配って作ったコミュニティ。そこには計り知れない価値が投棄されているという事を感じてほしい。タダで配る人は市場破壊などではなく。人生掛けて本気なんだなという事もあるのを頭に置いてほしい。僕はまだまだコミュニティの作り方を模索しなければならない。だって有名になりたいんだもん。僕の作品を使ってくれるまで僕は喘いで足掻いていく。あと、今はないという結論を出すがいずれ手のひらを返して新しく出てきたコミュニティの作り方を実践するかもしれない。という話で〆させていただく。

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