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バレンタインデー について(キュレーション)

バレンタインデーの歴史 ローマ帝国
(St.Valemtine’sDay)
キリスト教司祭
「ウァレンティヌス(バレンタイン)」
「ユノ」の日「ルカペリア祭」
「ミトラス教」「アステリオ」の家族
なんか似たような説(はなし)がいっぱいあるし、歴史的背景(視点)     暗くなるし、、

『バレンタインデー』
要は  ロマンを感じろ Don''t think, feel
                  考えるな感じろ!

 人から感じろ。己を知るとはそういう事だ。

(チョコを貰えない現実。現実逃避するな!自分で買ってSNSにうpしろレスポンスはある が、その等価交換として人間の心の領域(悲しみのエネルギーにアクセスするだろう)己を知るとはそういう事だw)
by M ブルース・リー


『バレンタインデーの歴史』引用

当時ローマでは、2月14日はすべての神々の女王ユーノーの祝日で、翌日の2月15日はルペカリアの祭りが行われる日でした。
このお祭りでは、男性が桶の中から女性の名前が書かれている紙を引き、相手の女性と祭りの間パートナーとして一緒に過ごすことになっていたそう。
そして、パートナーとなった多くの男女はそのお祭りで恋に落ち、結婚したと言われています。

西暦3世紀頃のローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は、若者が戦争へ争いに行きたがらない理由は、愛する家族や恋人を故郷に残すことを躊躇する気持ちにあると確信し、結婚を禁止してしまいました。

しかしこれを受け、キリスト教司祭のウァレンティヌスはかわいそうな兵士たちのこと想い、内緒で結婚式を執り行っていました。
そのことがやがて皇帝の耳にも入り、怒った皇帝は法を無視したウァレンティヌスに罪を認めさせ、二度とそのようなことがないように命令しました。しかし、ウァレンティヌスはそれに従わなかったため、処刑されてしまいました。

ウァレンティヌスの処刑日はユーノーの祝日であり、ルペカリアの祭りの前日である2月14日があえて選ばれました。
以降、毎年2月14日はウァレンティヌスが処刑された日として国民でお祈りをするようになったそうです。


『アステリオの家族』
ある看守に目の不自由な娘がいて、ウァレンティヌスと親しくなって ウァレンティヌスの説教を聞いて 女性の目が見えるようになったちゅう 奇跡が起きた! って

処刑の前日、ウァレンティヌスは目が見えるようになった少女へ一通の手紙を送った。死を覚悟したウァレンティヌスが彼女へ授ける最後の説教だった。

手紙の最後には、差出人の名前として、次のような一文が添えられていたという。

From Your Valentine

あなたのヴァレンタインより


豆知識……

バレンタインデーといえばチョコレートを思い浮かべる人がほとんどだと思いますが、バレンタインデーにチョコレートを贈る習慣は日本独自のものです。
海外でもバレンタインデーにチョコレートを贈ることはありますが、カードや花束、お菓子を恋人や家族、友達に贈る習慣の一つの選択肢であって、日本のようにチョコレートが主役ではありません。

ワイ、日曜日がバレンタインデーだから、金曜日にチョコ21個貰った(・ω<) テヘペロ


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