見出し画像

パニック障害-寛解状態-

こんばんは。Miroです。

先日の続きをお話ししたいと思います。

通院していた内科では治ると信じて飲み続けていた薬を処方してもらえなくなり、苦しい症状を誰にも理解してもらえず、自分はおかしいのだという不安が頭から離れず、いつか突然呼吸が出来なくなって死んでしまうのではないかと不安な日々を過ごしました。

大学受験が始まり、いくつかの志望の大学へ試験を受けに行きました。周囲の人は皆ライバルであり緊迫した教室で私は逃げ出したくなることが何度もありました。発作が起きて苦しくて苦しくて倒れてしまうのではないかと思うこともありましたが、倒れることはなくなんとか全ての試験を乗り切ることができました。


幸いにも志望の大学に合格できたため大学受験からは解放されました。

春休みはもう勉強もしなくて良いし、自分の好きなことだけしてストレスのない楽しい毎日が送れるとばかり思っていました。


しかし、パニック発作は続きました。

ストレスが原因で発症したのは明確ですが、ストレスの原因がなくなっても一度起きたパニック障害はそう簡単にはなくなりませんでした。

友人と高校最後の休みを楽しもうと出かけても、出先で発作が出てしまい、友人はもちろん病気のことを知らないし私ですらなぜそのような現象が起こるのか分からなかったので、その症状を伝えることに抵抗があり、「気持ち悪くなっちゃった」「お腹痛くなっちゃった」と適当な言い訳をして遊び途中で帰宅せざるを得ませんでした。

徐々に外出することすら怖くなってしまい、大学が始まるまで自宅の部屋に籠もって過ごしました。

あの時もっと理解してくれる人が近くに居れば、すぐに治療を始められて重症化することもなかったかもしれない…と思うことがあります。

罹患歴が長ければ長いほど、慢性化しており治癒に時間がかかると医師に言われたことがあります。私がパニック障害を発症したのは18歳、治療を始めたのは26歳です。8年間という長い期間で症状は既に慢性化していました。

大学に入学し、初めは電車に乗るのが怖かったのですが、幸い大学へは満員電車を避けて通学することができたので発作が出ないように自分なりに予防策を考えました。

・出来るだけ空いている車両を探す。

・出来るだけ出口のそばに立つ。

・急行など長時間停車しない電車は避け、各駅停車に乗る。

この3点さえ守れば大丈夫と、無理矢理思い込みました。家族には気のせいだとしか言われなかったため、自分でも「自分は何もおかしくない」と言い聞かせました。


しばらくこうして通学を続け怖いことも怖くないと言い聞かせて、心の中で「大丈夫、大丈夫」と心を落ち着かせて、徐々に症状は軽くなっていき、発作の感覚を思い出せなくなるくらいまでになりました。

こうして症状は寛解状態になりました。

その間も急行電車や自力で出ることができない閉鎖された環境に居ることはできませんでしたが、日常生活には支障がない程度まで戻ることができました。

当時はまだ症状を自分でコントロールすることが出来ました。

ただ、私がパニック障害に苦しめられたのは症状だけではありませんでした。


大学に入学し新しい友達ができると一緒に授業を受けたり、一緒に通学したりと人に合わせて行動しなければならないことが必ずあります。

私は授業に出席しても出来るだけ出入り口付近に座って万が一発作が起きても大丈夫と思いたいし、どれだけ時間がかかっても電車は各駅停車に乗ってすぐに降りられる場所に居たいと考えていました。

しかし、友達と一緒にいると自分の思うように行動することはできません。

家族にも医者にも信用してもらえなかった症状を新しい友達に話したところで、信じてもらえないし変な子だなと思われるのも嫌でした。

となると、もう友達を作らずに一人で大学に行き一人で授業を受けようと思いました。

もちろん話しかけてくれる友達は沢山居たし、友達になろうとしてくれている子を拒絶するようなことはしませんでしたが、最低限の人と最低限の付き合いをすることしかできませんでした。

そのため大学時代の楽しい思い出はほとんどありません。

一人だけ、最低限以上の友達になった子が居ましたが、その子にも本当のことは言えませんでした。


もしも打ち明けていたらあの子は理解してくれたかもしれません。

でも、当時の私にはそんな勇気はありませんでした。


こうして必要最低限の人と表面上の付き合いを続けてきたために、

私には現在連絡を取るような友達はほとんどいません。


それでも症状に苦しむことはなく25歳まで過ごすことができました。



今回はここで終わろうと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。

Miro

#パニック障害 #闘病記 #パニック障害と共存する