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規則功利主義

義務論は功利的精神を失い、功利主義は自己利益を重視し過ぎるために他者の不利益を考慮しないといった問題が起こり得ます。義務論と功利主義は、企業倫理を考える上で対立的な考え方と言えます。

義務論は、他者の不利益を選択することによって利益の追求を断念してもそれは止むを得ないという主張であり、実際に他者に及ぶ不利益や不都合を防ぐことができます。しかし義務論は、企業存在の第一義である利益追求を妨げる場合があります。一方、功利主義は利益を重視するために、弱者を考慮しない企業経営になることもあります。

では、どうしたら義務論と功利主義の矛盾を解決することができるでしょうか。その一つが「規則功利主義」と呼ばれる立場から問題解決にアプローチすることです。

規則功利主義は義務論と功利主義の良い面を融合した立場であり、他者の利益獲得の権利を確保するためのルールに従うことで、他者への一定の義務を負いながら自らも利益獲得を実現するという方法です。

この手法は、規則に従った方が自己の利益につながるということを実現可能にします。交通ルールなどは規則功利主義の典型的な例です。自分が最短時間で目的地に到着することを実現するために傍若無人に運転をすると事故を起こします。他者を交通事故に巻き込み、他者の交通を妨げるといった不都合が生じ、結局「最短時間」という目的を達成できないばかりか、必要時間以上に時間を有することに加え、事故に付随した不利益な事柄が利益を上回ってしまう結果を招きます。しかし、交通ルールを設定してそれを守ることで他者を事故に巻き込むこともなく、自分もまた無事故且つ最短時間という条件をクリアーして、目的地へ到着することが可能となります。

このように規則功利主義の特徴の一つは、規則規範に従った方がこれから起こり得るリスクを最小限に抑え、結果として最も効率良い利益獲得ができるということです。功利主義での問題点である他者への不利益や不都合を解消することができるという点で優れています。

企業のケースを考えてみましょう。例えば、安全上の規定に適応しない自動車が生産されていたという事実が発覚し、その原因が設計又は製造の過程にある場合、その旨を国土交通省に届け出て、自動車を回収し無料で修理する「道路運送車両法に基づくリコール」を実施することで、購入者の被害や損害賠償を最小限に抑えることができます。また、回収・改善というルールに従うことで、製品性質の向上や改善が為され、欠陥車を販売し続けることもなくなり、また購入者の安全性も確保できるといった結果をもたらします。

2010年の1月にトヨタ社のプリウス(ZVW30型)などのハイブリッド車に採用されているブレーキシステムが一定の状況で作動せずに空走することが国際的問題となりました。問題発覚当初、「問題は無い」と主張していたトヨタは大きな社会的避難を浴び、それがやがて株価を大幅に下げるという結果を招いてしまいました。「欠陥ではない」と主張し続けていたトヨタは、最終的に国交省にリコールを申告しました。

この出来事はもともと、北米仕様プリウスのアクセルペダルにフロアマットが挟まってしまう不具合をアメリカのメディアが伝えたことがきっかけとなり、「プリウス欠陥車」という報道が全世界で広まりました。更にブレーキが効かないとの苦情がアメリカや日本で寄せられました。国土交通省に2010年5月頃までに寄せられたブレーキ不具合による報告は13例、アメリカに至っては国家道路交通安全局(NHTSA)に寄せられた同種事例は100件を超えていると言われました。アメリカでは、トヨタの車が突然加速する事故によってこれまで10人以上の死者が出たという報道もされました。

トヨタはこの問題について、フロアマットにアクセルペダルが引っかかることが原因と主張してきました。しかし、同社の幹部2人が米ワシントンで監督当局に対して、同社はこの件について「1年以上前から認識しており、アクセルペダルの機械的欠陥を知っていた」と証言しました。こうした経緯が、日本においても同社の隠ぺい体質に対する世論的疑念が起こり、プリウスの日本国内全車リコールに至ったのです。

もしリコールせずに購入者の不利益を出し続けたとしたら、トヨタ社は社会的信用を失い、販売台数が落ち込んでいたでしょう。また、問題の無い他の車両の販売にも影響を与え、最終的に大幅な利益損失を被ったと思います。
以上のように過失を認めてしかるべき対応をとれば、結果として販売者のみならず購入者の安全などの利益確保にもつながります。こうした決断と行動は、社会的ルール(規範、規則)に則った判断行為と言えます。このように欠陥商品は責任を持って回収改善するといったルールが企業の行動基準となります。

行動基準には「法律」と「慣行」といった2つの場合が考えられます。法は文章などで明示化されており、実体法、習慣法、行政規則、企業定款などを指します。一方、慣行は信頼、信用、評判、規範、倫理といった非文章化ながら社会通念のある内容を指します。二者ともが行動基準となる所以は、行動決定に至る判断を制約し、行き過ぎた行動を規制するところにあります。

法は公的強制力があり、違法行為には罰則や制裁が課せられます。一方、慣行は社会的批判を受け、社会的孤立といった制裁を受けることになり、どちらもそれなりに拘束力があります。企業の場合、法的な拘束力よりもまずは、慣行的拘束を優先的に実践するべきです。なぜなら不祥事を抑制する厳しい法令遵守(コンプライアンス)の徹底は、たとえそれで企業の不祥事が無くなったとしても、それと引換に企業間の競争力は低下し、市場の活力が奪われることになるからです。そういう意味でも、倫理的に正しい経営は資本主義の更なる発展に貢献し、消費者にとっても安心して物を購買することができる世の中を促進させるのです。


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