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花なんか好きじゃなかった

いまでこそ私のTwitterは町や野にある草花(主に歳時記に季語として取り上げられているもの)の紹介アカウントと化しているけれど、思い起こせばむしろ草花になんて全く興味のない人間だった。

若くしておばあちゃんになった祖母は、庭と言うには広すぎる土地に午前中いっぱい潜り込んで、花や野菜の世話に勤しんでいた。農家の人のような姿で、いつも顔中を玉の汗で輝かせていた。夏はトウモロコシやひまわりの背丈に祖母を見失った。

何がそこまで祖母を夢中にさせるのか分からなかった。道路に面しているわけでもない庭で、誰に見せることもなく育てる花。「うちで育てた野菜は美味しいでしょう」とことさらには言っていなかった。「虫に刺されるから来るんじゃないよ」「迷子になるから着いて来るんじゃないよ」と言われていたのもあって、私自身が畑に入った記憶はほとんどない。庭と畑の奥の方は薄暗い林に続いていて、どこが庭の果てなのか、ついぞ分からなかった。

ずっと、草花になんか興味がなかった。学校の花の水替え当番は面倒だった。桜吹雪は綺麗だが、特別見たいものでもなかった。薔薇がいつ咲くのかも知らなかったし、誰かに「綺麗な花だね」と言われても「そうですか」としか思えなかった。実は今でも、俳句をやっているわけでもないのに花を見に遠出する人のエネルギーには、心底感心する。

東京に住んで、病気をして、住む街を変えたころだったか。殺風景な部屋に観葉植物や多肉植物を置けないものかなと思って、花屋を覗くようになった。仏花しかない田舎の花屋と違い、賑やかで楽し気なラインナップに驚き、見惚れた。若くて笑顔の素敵な人たちが働いていた。

思いたって、花屋で働く人のための講座に通い、花の基礎知識とフラワーアレンジメントを習った。クリスマスや年末年始で花屋のアルバイトもした。趣味の人向けのアレンジメント教室にも通った。震災で教室が一旦中止となったが、再開されるとすぐに参加した。

俳句を始めて、多くの花を知った。額の花の可愛らしさ。不思議で精巧な時計草のつくり。鷺草の飛び立つような姿を見つけたときの驚きと喜び。美しさだけでなく、造形といのちの力に興味を持った。

昨年の「森の座」全国大会。「森の座」編集長の小川雪魚さんが、挨拶でこうおっしゃっていた。「俳句を始める前、道に咲く花は花でしかなかった。道は経路でしかなかった」

うわああぁぁーっ!!と大声をあげて、その場で泣き崩れてしまいそうだった。心を覗かれたような気がした。

その時はなぜそんな気持ちになったのか分からなかったが、最近やっと気が付いた。草花という友達のなかった頃の、いつも寂しい私がフラッシュバックしたからだ。

小さな頃から、なんとなく孤独だった。旅行や買い物に連れて行ってもらっても、心から楽しむことができなかった。大人になると、拘束されるものがなくなった代わりに、拠り所も失った気がした。道を歩けば落ちているゴミばかり目に入り、絶望した。世の中のどこにも、それだけで価値のあるものなんてないと思っていた。強烈に成長することを強いられ、あらゆる人に値踏みされることに耐え、日々を生きる…それで精いっぱいだった。

けれど病気の後、徐々に花の名を知るようになってから、道は発見と喜びにあふれだした。引っ越した街で曲がり角の目印にしたサルビア群は、冬の間も代わる代わるにどれかが咲いていてくれた。セージの匂いを嗅ごうと顔を突っ込んだら、鼻に匂いがついてしまい、おかげで1日中香りを楽しんだ。毎日見ていた薊が、道路整備で引き抜かれてしまった時はめちゃくちゃ悲しかった。新しい季節の訪れを知る喜びと、一方でまだ枯れ切らない花の愛おしさ。

今はいつだって道すがら草花を見て歩く。咲いている花には、今日咲いていてくれてありがとうとさえ思う。散った花もこの後どうなっていくのか見ものだし、これから咲く花は当然見守りリスト入りだ。相変わらず、桜が特別に美しいとは思わないし、見渡す限り一面の〇〇、のような観光名所にはあまり魅かれない。それでも、私はいま友達がいっぱいいるから、どこへ行くのもとても楽しい。

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