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自動思考は止まるんじゃない。問題じゃなくなるんだという話。

最近、自動思考という頭の中の嫌なネガティブ思考を止めようという試みが流行しております。

考えてみればわかることですが、嫌なことも良いことも表裏一体です。善は悪がなければ存在し得ません。比較だからです。もし自動思考があるならばそこに良い悪いがなく、それ自体が全て思考なのです。思考を都合よく本人がどちらか一方を選り好のんで消えることはあり得ません。世の中に善悪が本来ないからです。そんな都合の良いフィルターはないのです。

善悪をあと付けで評価判断している、もしくは瞬間的に「うわ!」とネガティブを引き起こして感じているに過ぎません。

自動思考を消す消さないは自分で選ぶことは不可能です。なぜならば、それは既に起こっている事だからです。

もし選ぶことが可能であるならば人間、すべてのスイッチを善側にONにすれば苦しみも悲しみもなくなるでしょう。もしそのような教えが一本化されればすべての教えは必要ないでしょう。ダイエットモードにスイッチをONに出来るなら世の中の全てのダイエット手法はいらなくなるのと同じで、そんな手法はありません。世の中は様々なことが既に起こる完全性で出来上がっているのです。すべていつでもなんでも起こり得ます。

「いえ、私はネガティブな自動思考が消えました。」と言っても明日起こる可能性があれば消えたことにはなりません。いつまでも今消えてるように思っているだけを否定する論法は御座いません。

苦しみや悲しみが無くなる存在はあり得ません。それは他人に寄り添う気持ちすらも忘れてしまう存在だということです。

そうではなく自動思考というネガティブな感情はあるんです。深刻じゃなくなると気づく自分がいるだけです。そして、気づいた自分を後にそれすらも手放しそのあるがままで生きていて大丈夫だと気づくだけで楽になるんです。

どうか自動思考を嫌がらないで受け入れてください。それは人間の学びでもありますから。

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