見出し画像

私たちの生活にも原因療法を

私が思う未来のためにできることは「全ての人が過ごしやすくなる環境の整備」である。それは平等でもない、公平でもない。どういうことかと言うと、平等と公平は障害がある上でその障害に対しての対処療法であり、一方で環境調整は障害そのものを無くしてしまうという原因療法ということなのだ。

私が環境調整に目を向け始めたのはつい最近のことである。きっかけは2点あり、手話を学び始めたことと勉強会で公平について調べたことだ。前者は、医師となるにあたって聾の方にとっての第一言語である手話で会話した方が思っていることが伝え易いのではないかと考えて手話を学び始めた。そこで出逢った友達と触れ合う中で、言葉でなくても通じ合えるといいのではないかと感じた。また、後者では公平について調べていく中で、初めて環境調整というワードを知った。誰かに合わせた社会ではなく、全ての人にとって暮らしやすい社会に向かうことは非常にしっくり来たのだ。その2点が相まって、全ての人が過ごしやすい社会作りに目を向けるようになったのだ。

全ての人にとって過ごしやすい社会とはなんだろう。私が思うに、全ての人の”希望”と誰かにとっての”不便”に焦点を当てることだ。まずは、全ての人の”希望”に焦点を当ててみよう。〜をしたいけどできないといったやりたいこと、つまり希望はあるが障害があってできないという点を減らしていきたい。これは、身体が不自由だからという理由のみならず幼かったからできなかった、歳がいったからできなくなったというように誰にでも経験があるのでは無いだろうか。今は何不自由なくできていることでも、数年前はなんでできなかったんだろうと考えてみて欲しい。例えば、電車の切符売り場だ。幼い時は目的の駅がどこなのかを探すのに苦労し、最近は遠くて見えないといった場合、タッチパネル上で駅名を検索できるシステムがあると良いだろう。次に誰かにとっての”不便”に焦点を当ててみよう。ここでの具体例は電化製品の統一化だ。洗濯機、テレビ、エアコン、冷蔵庫等全ての電子機器の情報が集約化され、その情報が1台のディスプレイに表示され機器毎で異なるON、OFF音が流れたり光ったりすると全ての人の情報把握に一役買うのではないかと考える。

このように、全ての人にとって過ごしやすい社会作りに尽力することが未来の持続可能な社会のためにできることだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?