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認知の歪みが共有される -「認知症にかかわる専門職の多職種協働研修」に参加して-


ビルの屋上の、しかもあと一歩進んだら踏み外してしまうようなギリギリの場所に私は立っていた。
大学の講義室で指示通りヘッドマウントディスプレイをセットした後、その場で起立するように指示があった次の瞬間、視界が変わり、私はビルの屋上に立っていたのだった。

「こわ!」と意図せず言葉が出た。

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身体に何らかの障害を持つ患者が生活の中でどのような悩みや問題や課題を感じているか、医療従事者が少しでも理解したいと考えるとき、その手段のひとつとして疑似体験が用いられることが多い。
例えば、車いすに乗ってバスや電車などの公共交通機関を使用して移動してみるプログラムや、身体の全身や一部に重りを括りつけて普段通りに過ごしてみるプログラム、ベッドに手足を縛られた状態で過ごしてみるプログラムなど様々なバリエーションの疑似体験プログラムが存在する。

疑似体験のプログラムは身体の障害や不自由さを疑似的に体験することは得意である。普段使い慣れていないデバイス(車いすなど)を使用することでの不自由さ、体重を加重することでの身体的な不自由さ、手足を縛られることで行動制限される不自由さ。これらは実際に起きていることと同じことをすることで体験が可能である。
対して、認知症などの感覚を疑似体験することは難しく、感覚を共有することは困難なことだった。
しかし、VR技術で認知症の認知機能低下を疑似的に体験できるようなプログラムが作られたとのことでどうにか体験できないか調べたところ、「認知症にかかわる専門職の多職種協働研修」という研修会を見つけた。

(↑私が参加したのはオフラインの回です。リンク先のレジュメとは一部内容が異なっています。)

医師や看護師に限らず、認知症に係わる多職種の研修会なので薬剤師の私には参加資格としても、精神的なハードルとしても敷居の高くないものだった。

研修会は認知症患者に対する多職種での事例検討やワークショップで構成され、VR体験はワークショップの一部に割り当てられていた。

正直なところ、私は実はVRにはそこまで期待していなかった。それが虚構だとわかっているため、認知に関する疑似体験とはあまり相性がよくないのではと考えていたからだ。

しかし、実際にはVR体験は、それが虚構であるとわかっていても抗えない感情、今回の状況では恐怖を実感することが出来た。

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ビルの屋上で立っている状態が続いた。ここは大学の講義室だとわかっているはずなのに、不思議と一歩も前に動けない。恐怖のためか、まっすぐおとなしく立っていられない。片足で立っているわけでもないのに、ついその場でふらふらしてしまう。
同じフロアに私同様にヘッドマウントディスプレイを装着し、ビルの屋上に立たされている研修参加者が数名いる。突然「あっ!」と声を出したり、「おっとっとととー!」と明らかにバランスを崩したような声が周りのいたるところから聞こえる。
周りの声とは別に、ヘッドマウントディスプレイから音声が聞こえてくる。最初は聞き取りづらかったが、「大丈夫ですよー」「降りましょー」と繰り返し私に話かけている。
要するに「このビルの上から一歩踏み出して降りましょう、大丈夫ですからね!」と言っているようだが、無茶な提案だ。VRだとわかっていても足がすくんで一歩が出ない。無理だ。事態は解決しないまま「大丈夫ですよー」「降りましょー」の声は延々と続いている。
要望に応えられない私は、どうしたらいいかわからずビルの上に立ち尽くしていた。

しばらくすると、視界が暗転し、終了の合図となった。
ヘッドマウントディスプレイを外し、一呼吸おいた後に、全体スクリーンに動画が映し出された。高齢の女性が車から降りようとしているシーンだ。ドアは開いており、あとは車から身体を離し、着地すればよいのだがなかなか降りようとしない。周りも「大丈夫ですよー」「降りましょー」と声をかけて安心させようとしているのだけれど頑として動かない。そのまま、高齢の女性は車を降りられずに動画は終了した。

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このVR体験は「ビルの上に立った」疑似体験ではなく、「認知症患者が車から降りる」疑似体験だった。
何の説明もないままVRの動画が始まったのもあり、我々はてっきり今見ているのはチュートリアルのようなもので動作確認くらいの気持ちでいた。少なくとも私はそのような思いだった。認知症とは全く関係ないように思ったから。

体験プログラムの意図としては、認知症患者は認知機能が低下しており、車から数センチ下の地面に着地することが、ビルの屋上から一歩踏み外すことくらいに認知が歪んでいるということだった。

本当にビルの屋上くらいの高さのように感じているのか誰が検証したのかはよくわからないが、確かにちょっとの段差や車の降車に恐怖している認知症患者さんは多くいる。少なくともそういった恐れを理解する補助線としては十分に納得できるスケールだと思えた。

私は改めて、認知機能が低下すると認知の歪みがもはや想像を絶するということを体験することでようやく理解できた。
車から降りるとき、認知症の方は着地場所がうまく認識できないためにビルの屋上から飛び降りる感覚らしい、と言葉で説明を受けた場合には、理解はするとは思うが、その恐怖を共有するのは難しいのかもしれない。つい、「それは怖いですね!じゃあ、気をつけて降りましょう!私がいるから、大丈夫ですよ!!」とか元気よくバカみたいに言ってしまうと思う。
ビルの上に仮想現実的に立たされたおかげで、私は初めて真に、認知症患者に寄り添えるためのスタートラインに立つことが出来たのだと思い知らされた。

私の、認知に関する疑似体験への懐疑的な見方は今回のVR体験で180度変わった。
今回は認知症患者の認知の歪みについてだったが、これは精神疾患を持つ方や、覚せい剤乱用者に発現し得る幻覚症状など、幻覚と幻聴の混合状態などの理解にも有効であると思う。
このようなツールが増えることは、統合失調症をはじめとした精神疾患を抱える方の認知を共有する敷居が低くなり、必ずしも医療従事者の特権ではなくなるかもしれない。
医療従事者や介護スタッフのみならず、すべての人が、認知症を含むなんらかの精神疾患を持つ方に心から理解を示すことができる、「やさしい世界」に近づくために、このようなツールが広まって欲しいと願わずにはいられない。


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