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私と保健室との出会い

こんにちは!開いてくれてありがとうございます。
miriです。この季節、憂鬱がつづいていて体調悪い方いらっしゃいませんか。私は、耳の聞こえが悪く、かかりつけの耳鼻科に行ったら、メニエール病と診断されてしまいました。みなさん、くれぐれも無理は禁物です。

前回の「不登校シリーズ」の続きを書かせてください。オリエンテーションのあとどうなったか。

苦しかった部活動


 私は中学時代、帰宅部を合わせると3つの部活に所属していました。
最初は、テニス部。理由は2つあります。1つは、小学校の時の友達(だと勝手に勘違いしていた)がテニス部の入部を考えていたから。2つめは、父が倒れた直後で、身体を動かしたら考え事も忘れるだろうと思っていたし、リフレッシュされるだろうと思っていたから。
でも、心が正常ではない時に体なんて動かなったし、続けられるかどうか自信がないスポーツのために、お金をかける覚悟なんてありませんでした。その次に合唱部。心優しい音楽の先生が気分転換になるかもしれないと誘ってくれました。ここが鬼門でした。そして、2シリーズ目に進められなかった理由でもあります。

部員からの悪口


 合唱部では、正直父の病院へ通う忙しさもあり満足に練習に参加することができませんでした。もちろん心の不調もありました。嫌いだったならなんでお見舞い?と思うかもしれませんが、病人がいるということは、洗濯とかやらなければならないことがたくさんあるのです。そんなこんなで、肺炎になるほど、入院直前に追い込まれるほど、悪化した喘息。完全に学校にも行けず、部活動にも参加できなくなりました。なんせ歌なんか歌えるほどすぐに肺はすぐには復活してくれません。。。。
 苦しくて忘れたくて、、、なので季節なんて覚えていませんが。
「どうせまた辞めるよ」「あいつはどうせコロコロ転部するに決まってる」
私の家庭事情を知らない人からはそういう声も、ありました。聞こえるように言ってくれるのです。


保健室から離れられなくなった


 はじめは、ずっと座っている体力がなかなか戻らず、、、なので、保健室によく避難していました。足らない体力。私の心にはきつすぎる悪口、陰口。そもそも、学校なんて必要ない、と肺炎の期間に思ってしまったこと、ちゃんと説明するのはとても難しいけれど、他の子どもと波長が合わないと感じてしまったこと、、、それらが原因で教室にも、子どもたちの輪にも入れなくなっていしまいました。そこから、私と保健室の物語が始まります。

悪口を言っていたのは在日中国人の子です。とても体格がいい女の子でした。私は、マレーシア生まれ。みんなと予防接種の形も違う。違うことだらけで、当然下町では受け入れがたい存在だったでしょう。在日中国人の中心になってペラペラ話していた子とは一切連絡は取り合っていません。このまえ同窓会で連絡を取るためにインスタをフォローされましたが、用が終わったらリムられました。ちょっと気持ち悪い。。。
それでも、これは在日中国人がとか中国人がというお話しではありません。
(実際私は、中国人の友達の方が多いです)

このシリーズはちょっと私的にきつかったので、少しまた期間が開いてしまうかもしれないですが、、、、また、次会う日まで!

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