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日常の中の演じる瞬間

「あなたが普段何してるか全然わかんない」

この前、バイト先の友人に言われた言葉だ。これを言われた時、私はすぐこの言葉に納得がいった。納得がいったのがむしろ不思議だった。
それはなんでだろう、と少し考えてみたのでよろしければお付き合いください。

さて、私が普段何をしているかといえば、漫画を読む、投稿サイトで小説を漁る、Twitterをする、など。ちなみに、私はそれを友人に言ったことはない。
勿論、「趣味はなんですか」と聞かれれば、「漫画を読むことです」と答える。でも、どの作品が好きなのか、なぜそれが好きなのか、どういうところが好きなのか、そういう細かなことまで語ることはしない。

趣味が共通している時は別だが、興味のない話題ほどつまらないものはないだろう、と私は思っている。相手の人となりや共通の趣味、価値観などを探す為にそういう話題をするのであって、その趣味そのものに興味があるわけではない。マニアック、オタク的趣味なら尚更。こういう自分なりの理由があって、私はあえて趣味の話をあまりしていないのだ。

※ただし、これは私が人見知りで、あまり他人に内面的なことを話すことが少ないからこういう考えになるのであって、全てをオープンに出来る人はいる。なので一概にこうと言うつもりはないです。

じゃあ、私は共通の趣味をもった人としか人付き合いをしないのかと言われれば、そうでもない。先の友人とも月に2、3度飲みに行く仲だ。
上辺だけの付き合いをしているというわけでもない。同じ職場だからこそ共通の話題はある。
それならどうしているか。私は「(自分なりに)人当たりが良く、ノリのいい私」として振る舞っている。仕事場の仲間なので普段よりもハキハキと笑顔で、を心がけているし、おかげで4年目の職場で大きな人間関係トラブルもなく過ごせている。

客に対してもそうだ。最初こそ戸惑いはしたものの、今は無理矢理笑っているという意識はない。ほぼ無意識に、名前も知らない相手ににっこりと笑顔を浮かべることができる。

私は「演じている」という感覚があった。

「こんな私は本物の自分じゃない!」というのは少し違う。人に笑顔で接することができる私も、趣味に没頭する私も、面倒くさがりな私も、口が悪い私も、全部私だ。人間は一面的ではないのだから。

何故、演じているという感覚があったのだろう。

この前、青い傘のメンバーに「演じることとは何か」という問いを気軽にぶん投げてみた。すると、ありがたいことに演劇経験者の方が答えてくださったので、それを参考にしてみたいと思う。

ちなみに記事も書いてくださったのでこちらも是非見てみてください。
かのこさん (https://note.com/cc_kanoko/n/n29e41f1e9d10)
清水涼介さん (https://note.com/nicotis/n/n4f42d0f25c19)

私が引っかかったのは「意識」という単語。「意識」すること。

そう。仕事場で見せる私は「偽物」の私ではなく、スイッチを入れ替えるようにその他の自分の要素を消しているわけでもない。
言うなれば、ボリューム調整のよう。
自分の中で意識して、「笑顔でノリのいい私」の要素を上げて、その他の要素を下げる。
この意識。スイッチを切り替えているわけではないので、たまに「あんた、口が悪いよね」なんて言われることもある。意図的に見せないようにしているだけで、隠し切れてはいないのだ、と思う。

そして演じている時の私は、フルボリューム全開の時に比べて余裕が出来る。それは他の自分の要素を下げたことによって隙間が生まれるからだ。加えて、こういった時はこういう振る舞いをすべきという、道標のようなものが出来るから。
態度だけじゃない。喋り方も、言葉選びも、表情も。場面場面で、自分で自分を演出すること。
これこそが、日常の中の『演じる』瞬間なのかもしれない。

こうして私は、レジを打ちながら「本物」の笑顔を浮かべるのだ。頭の中で、夕飯のことを考えながら。

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