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過去の自分はどんなだった?

自分探し②

前回も何気なく自分のこと書いてみた

途中何を書きたいのかわからなくなったので

今回は、誕生から小学生までの記憶を探ってみたい
1965年7月に4人姉妹の次女として誕生
我が家の両親は自営業をして、生活を切り盛りしていた
子供の頃の記憶は、曖昧だが少しづつ思い出せたらいいな

赤ちゃんの頃の思い出はもちろん覚えてない
幼稚園は自宅の近くに通っていた
幼稚園時代に覚えていることは、お遊戯会でお遊戯が上手に出来たのか
市の発表会には選ばれて参加していた
幼稚園の先生のことは、あまり覚えていない(涙)

小学生の思い出は、あまり良い思い出はないような気がする

大人になり知ったことだが、過去の良い思い出は記憶に残りにくいが
悪い思い出や、嫌なことは結構覚えているとか‼︎

良い思い出は、小学3年生から始めた鼓笛隊とバレーボールを忙しくしていた記憶がある
我ながらよく頑張ったなと勝手に思っていたが、
今となっては、両親がサポートしてくれたからこそ続けられた
両親には感謝しかない

鼓笛隊とバレーボールの練習が、学校終わりに毎日交代にあったような気がする
しかし、一番ハードだったのは夏休みの練習だった‼︎
毎日暑い中、8月の祭りに鼓笛隊で出演するため、
午前中は鼓笛隊、午後からはバレーボール
高学年になるとどちらの練習もハードになり、
練習中にとうとう熱中症のような症状になって
先生の背中に背負われて自宅まで連れて帰ってもらった、ちょっと恥ずかしい体験を思い出す

一番大変だったことは、私が小学2年生の5月に妹が交通事故にあい
両親は妹のことでいっぱいだったと思う
その年の12月に弟も誕生しました。8歳離れた弟でした。
両親は自営業だったので、跡取りが欲しかったのだと子供ながらに思っていました
この年は、両親は本当に人生で一番というくらいしんどい年だっただろう
 
私は、その時からずっと甘えること、人に頼ることできない人になったのだと思います。
そして、私も自分の聴力が人並みより悪いことを知り、聞こえるふりが当たり前になっていたのだと思う。だって、誰にも聴こえないって言えなかったから。
多分、友達に言ったらいじめられると思い込んでいたの。だから、今でもその時のからの親しい友人はいない。そんな時代だった

しかし、身体は人並みに丈夫だったので、習字、バレーボールは得意な方だったかな(笑)
小学時代は、こんな感じで平凡淡々だったのだろう(続く)

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