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自分を嫌いにならないために要領の悪いまま生きていくことにした

かなりお久しぶりになってしまった。

最近考えてることを書こうと思う。

私の頭の中はいつも混沌としている。
脳内に自分が5人くらい住んでいて、それらが一斉に喋っている感じになることがある。

「土曜日だから掃除機かけるよ!その前に洗濯してうさぎのケージの掃除!ご飯したら拭き掃除にトイレ掃除よ!」
「この漫画、買ってからもう1ヶ月以上経ってる。読んだらおもしろいだろうなぁ…漫画。」
「prime videoのウォッチリスト色々入ってる。またフォロワーが新しい映画ネトフリで観たって感想つぶやいてたな。」
「推しぬい作りたくて材料揃えて顔だけ刺繍したのが机に置きっぱなしじゃん、かわいそう。」
「引っ越してから二年以上空けていない段ボール、いい加減片付けないといけないよね。」

一つの体に5人の私が一斉に捲し立てる。
タスクで頭がパンパン。

なんでこんなことになるんだろう。

ずっとそうだ。私は「時間がない」が口癖、というか思考の癖。
やりたいこと、やらなきゃいけないことが頭の中でも部屋の中でも山積みなんだけど、いつも「時間がない」とか「やることがたくさんあるから、これが最優先か?」と考えて、考えるだけで結局何にも手をつけずスマホで意味もなくTwitterやゲームをやって終わり。そうやって何年も…多分十年くらい生きてる。

本当はわかっている。
一個ずつやらなきゃ何も進まないし、
一個ずつでもやればいつかは終わること。

それがなぜできないかと言うと、私はタスクが溜まっている状態がとてもストレスで、一刻もそれから早く逃れたいから「一発逆転解決する方法」を探してしまう。

そんな魔法はないのに。

ないものを追い続けて、魔法は手に入らないし、タスクも消えないし、ストレスも減らない。
その副産物として、成すべきことを成せない自分への自己嫌悪を手に入れる。
我ながら良くないループだなと思う。
そりゃあ生きるのがつらい。

周りの“要領がいい”と思う人は、行動が早い人だと思う。
多分優先順位をつける以前に、目の前に降ったことは先延ばしせずなるべく“今”処理してしまう。先に延したとしても、「今週末やろう」と日にちを決めていたりする。すごいと思う。
「効率的に物事をこなすのって、デキるビジネスマンみたいで、かっこいい!」

ずっとその人たちみたいになりたかった。

だけど

その“憧れ”を捨てて、言い方が乱暴かもしれないけれど、「どーせあたしゃバカなんだから、頭で考えるよりとりあえず行動する方がいいって〜」と考える方が楽なのだと、うつ病になった原因と向き合った時に気が付いた。

人は自分にないものに憧れる。
そして努力して、なりたい自分になることは素晴らしいことだ。
だけど私みたいな、意志弱い、メンタル弱い、自己肯定感低い、要領の悪い、のに理想だけ高い人間は、何でもかんでも「自分を変えよう」と思うのは向いてないのだと思う。
だってそう思っても、それが成せない自分が許せなくて、もっとつらくなる。
ずっとそうだった。
私が持っていなくて、手に入らないものは素晴らしいものだと思っていた。

だけど、本当にそうだろうか。
私にも素晴らしいところがあるはずじゃないか。

まずここにこうやって文章化できることが素晴らしい。きっと誰にでもできることじゃない。
何もできない自分と原因を私なりに分析できている。苦しんでいる理由を理解できている。
色々なことに興味があることがそもそもすごいことなのではないか。
漫画や手芸用品が山積みということは、それに取り組みたくて用意することまでできたということ。
ウォッチリストがパンパンなら見たい映画を見つけたということ、あとは再生ボタンを押すだけ。

そう思うと、もう半分までタスクは進んでいると言ってもいい気がする。
ここまで進められた私偉い!と思えてくる。

書き出してみると、無限にあるように感じていたタスクが、自分が思っていたより少なかったことに気づく。

「な〜んだ、大丈夫じゃないか。」

私は、私のままで大丈夫だ。
今までだってそうやって生きてきて、なんとかなってきた。
要領の悪いまま、人の二倍の時間を火に焚べて生きていけばいい。
焦って何も掴めないよりは、ずっといい。

昨日まで一度も開けなかった本の1ページを今日捲ることができれば、私は昨日より今日の自分のことが好きになれる。そんなことでいいから、一つずつ。

一発逆転の魔法なんていらない。

何より、地道な努力の積み重ねこそ、未来の愛おしてたまらない、誇らしい自分を作ることを健やかな私は知っている。

どうか、そんなに生き急がないで良いと思いたい。
そして、そんなに要領よく生きなくていいと思えるようになりたい。
そんな決意表明でした。ちゃんちゃん。


「生き急いでいるな」と感じたら、ありのままの自分を否定してまで“憧れの誰か”になるのが幸せなことなのか、このnoteを読んで思い出したいと思う。

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