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1年前、一人暮らしで犬を飼った

今から約1年前、ペットショップで生後11ヶ月目の犬を買った。
動物好きの人たちからすると、どうやらペットショップで「買う」のはクソである、ということらしい。確かに、お金さえ払えば誰でも買えてしまいますもんね。

私は「覚悟をもつ」ということがいまだにどういったレベルの話なのかイマイチつかめていません。かといって「よし、頑張るぞ」といった意気込みも、犬がいる生活に特別な期待をすることも特にありませんでした。

いつも足にくっついてくる犬

初めて会ったのは、雪は降る、道は凍るで犬を飼い始めるに適さなすぎる真冬。昔からよく行くペットショップにものすごく変わった白い犬がいました。
ずっと何かに吠えまくっていて、何犬なのかもよくわからない風貌で、胴が長い。いつ見に行ってもケースの中を右往左往していて、ストイックに筋トレをしているようでした。そのせいか声がバカでかい。11ヶ月伸びっぱなしのシルクのような純白の毛がモンスターみを演出していました。(でもなぜか薄毛)
猫派だったので保護猫を迎えるつもりでしたが、こんな変わった犬はこの先どこにもいない、この子じゃなければもう何も飼わなくていいやとすら思いました。

小顔だけど6.5kgある

数回様子を見に行く間に2LDKペット可物件に引っ越し、自宅の環境を整えてからその白い犬を迎え入れることにしました。
マルチーズとミニチュアダックスフンドのMIXで、通称マルックス。
スタッフさんからは「問題が色々あるのでちゃんと説明させてください」と色々伝えられました。全然怯まないわたし。12ヶ月を過ぎても家族が決まらなかったらその方が引き取るつもりだったのだということまで聞かされました。(「やめるなら今ですよ」という感じ。私が相当無責任そうに見えたのかもしれない)

何度会いに行っても一度も目を合わせてくれなかったくせに、スタッフさんに「この子にします」と伝えたとき、キラッキラの笑顔で私の目を真っ直ぐ見て尻尾をブン回しながら「ワン!!!!!!」と吠えたのを今でも思い出す。自分の人生の出来事の中で、とても美しいと感じた瞬間のひとつです。

私とは一切目を合わせないのに友人のカメラに目線を送る犬
そっと目を閉じる犬

そもそも室内犬を飼うということがどういうことなのか全く分かっていなかったので、初日から気絶するほど大変でした。
まず排泄。当たり前にどこでもする。
ごはん。用意してたら飛びかかられて奪われる。
物音。何でも反応して吠える。
私が少しでも離れると吠える。
トイレ行くと吠える。
風呂入ると吠える。
散歩に出ても他人に吠える。
とにかく吠える。吠える。吠える。。。
筋トレの成果なのか、病院の先生もお手上げの怪力。全身バネのよう。
そして甘噛みの延長で最初から普通に強く噛んでくる犬でした。
マジか〜と思いながら、どうしたらいいのか一つひとつネットで調べて学びました。あとは、一緒に生活するうちにどのタイミングで何をするかが自然と予測できるようになり、対処法が確立されていきました。私は自宅が仕事場のため、24時間ほぼ集中して向き合えたことが大きかったと思います。

ラリアット
バックドロップ
「ムフー」

また、生後ずっと小さな箱に閉じ込められていたため、色んなところへドライブしたり、運動をたくさんさせることで性質がかなり変わりました。毎日広い公園に連れて行き、ロングリードで走らせました。
どこに連れて行っても一生懸命空気の匂いを嗅いでいたのが面白かった。

海を見る犬
フォッサマグナ
白馬のジャンプ台
山菜採りでヤギを見つけた
千里浜なぎさドライブウェイ
どこだっけ
ゴンドラ

外の世界に慣れた頃に最難関施設「ドッグラン」へ連れていきました。
初めてのノーリードの状態。飼い主はかなりびびっていたので、万が一に備えて他人や他犬に怪我をさせたときと、手術になったときだけ100%おりる保険に事前に入っておきました。
心配していたような大きなトラブルもなく、毎週末の晴れた日は必ず通い、犬も私もここでたくさんの経験を積みました。社会性ゼロだった犬は、他の犬や人間たちとたくさん交流を持つことで自信がついていったようです。
ドッグランでこの子のペットショップ時代をよく知るトレーナーさんに偶然会ったこともありましたが、あまりの落ち着きぶりに同一犬物だと全くわからなかったそうです。

「ドッグラン最高」
「ダチ最高」

社会化はある程度できたのですが、生活の中では分離不安症がかなりひどく、私の姿が見えなくなるだけでパニックを起こすため、とてもトリミングに連れて行ける状態ではありませんでした。つい数ヶ月前まで、私と一瞬たりとも離れることができなかったのです。そのためカットや爪切りや耳掃除、肛門線絞りなどの手入れは自分でしてきました。(今では慣れて一生これでいいかなという感じ。将来の医療費に備えて、毎月トリミング行ったつもり貯金をしている)

飼い主によるトリミングbefore・after

分離不安の気持ちはなんとなくわかる。安心してもらえるまで見守るしかなかったし、気が済むまでメンヘラしてくれと思っていました。苦しんでいる犬を放置するのは結構しんどかったですが。(持論ですが、不安症は受け止める人がいる状態で一度限界まで爆発させるとマシになる傾向がある。どんな爆発も持続はしない。それに犬は自殺しない)

くっついてないと
寝れないの

1度だけ、友人の紹介でトレーナーさんに来てもらったこともありました。犬との接し方自体が全くわからなかったので、とりあえず遊び方とブラッシングの仕方だけ教えてもらいました。
「ペットショップで長く過ごした子でトイレ覚えた子は見たことないね〜」「今これだけ吠えたらこの先もっと吠えるようになるよ〜」と言われたけれど、そんなことあるか?と、あまり真に受けていませんでした。

道でも突然パニックを起こすことがあるので、このハーネスにはとても助けられました。
ハーネスとリードの品質は命そのものなので多少値段の張るものを選びました。

目まぐるしい日々だったけれど、いつの間にかトイレは完璧にマスターしてくれたし、オスワリ・フセ・マテ・ヨシ・ハウス等の基本コマンドもしっかりできるようになってくれました。(オテとかは必要性がよくわからなかったので後回しにしていて、最近やっと覚えてもらった)
また、吠えまくりだったのが嘘のように、外では一切吠えない子になりました。ドッグランでちびっこや大型犬たちが大合唱していても、全く意に介さず、一人で楽しそうにクン活しています。
自分のテリトリーを自覚している家や車の中では外的要因でたまに吠えるけれど、留守番も落ち着いてできる程までには心が安定してきたようです。分離不安も最初に比べると80%くらいまで克服しました。

留守番ができるようになりたての頃(一人で遊んでる)

トイレについては本当に色んなことがあったけれど、我ながらうまく誘導できたと思うので、また別の記事で攻略法を書くかも。

服を着せられるのが苦手な犬

通常、ペットショップでは4ヶ月目からが「売れ残り」なんだそうです。
ではこの11ヶ月の子は一体何者だったというのでしょう。よく「小さいときから飼わないとしつけが大変」と聞きますが、自分自身、扱いやすい犬と生活したかったのかと言われるとそうでもない。しつけをちゃんとできているねと他人から評価されたいわけでもないし。それに「しつけ」って、できるかどうかが肝ではなくて、犬が多かれ少なかれ人間社会での不自由な生活を強いられる中で、できるだけ精神的な負担を減らしてあげるためのものだと思う。(しつけの完成度を自分の作品のように誇る人が一定数いるという印象。そういう人たち嫌い。)
時間を戻して飼う前からやり直せるとしても、私はまたこの子を見つけに行きます。犬からすると「結局お前かよ(サゲ)」という気持ちかもしれませんが。
ということで、あまり深く考えずに「幼犬でも成犬でもちっちゃいことには変わりなし、みんな一生子犬でしょ」というモチベで一緒に生活してきました。トイレのしつけだけは成犬だと回数が少ないということで結構難しかったけれど、その他は割と簡単でした。前までは他人の犬がコマンドで制御されているのを見て天才だと思っていましたが、どうやら犬はみんな天才みたいです。
あと、人と向き合うことになぜかいつもすごく気合いが入ってるんですよね。こちらが教える姿勢をとると、犬も俄然やる気を見せてくる、というか。こちらが申し訳なくなるくらい彼らはいつも真剣です。

人間のごはんが気になる犬1
人間のごはんが気になる犬2

私は生まれたときから動物を飼っている家で育ち、哺乳類はこれまでに2度見送った経験があります。(鳥類、魚類、爬虫類、昆虫など色々いた)
最初の子は母が若い頃から飼っていたサモエドの雑種犬で15歳。次が小学校のヘチマ畑で拾った元野良猫で23歳。どちらも大往生だったと言えるでしょう。

5年経ちましたが私はまだ先代猫のペットロスを引きずっています。いまだに実家に帰ると走ってきそうな気がするし、抜け毛の多い子だったのでその辺にコロコロをかけたらすぐに毛が出てくるし。
今飼っている犬とはずっと一緒にいるので正直うんざりすることも多々ありますが、それと同時に「この子がうざいのは若くて元気で健康なときだけ」「重大な悩みがない証拠」というペットロスからの教訓が過ぎって涙が出そうになっちゃうんですよね。
私の母は動物も植物も健やかに育てる人で、実家の動物たちがみんな長生きできたのも、おおらかなマインドを持った人間のそばにいたからこそ。彼女が言うには「小さな動物は天からのお預かりもので、いつかはお返ししないといけない大切な存在」なんだとか。なるほどなぁ、君たちは天使なんだね〜。

奪われたくないパクソジュンと犬

まだ1歳だというのに、いつも終わりのときに向けて備えているのが不思議な感じ。いつか今みたいにたくさん食べられなくなっても、ずっとごはんが毎日の楽しみなんだよね。思うように足が動かなくなる時が来ても、日向ぼっこしに外に出たいんだよね。

ドライブ中はこの顔でいつもフニャフニャひとりごと?を話します
(もしかしてBGMに合わせて歌ってる?)

5年以内には広い庭のある家に引っ越さなきゃなと計画中。
老いたら社会参加を伴う公道での散歩は厳しくなることをよく知っています。分離不安の時とは異なる理由で1時間の留守番をすることすら難しくなるときが必ず来るでしょう。
できるだけストレスなく、安心して幸せに生きられる環境を作りたい。
それは犬のためだけではなく、私の人生のためでもあるのです。だってそもそも自分のエゴで犬を迎えたんですから。

自分自身が豊かであれたなら、この子の暮らしが貧しくなることもまずないはず。実在する命がすぐそばで投げかけてくる感情や表情を目撃する日々の中で「より良い愛のある選択」を積み重ねて生活を継続していくのは、本来とてもシンプルで簡単なこと。

稼ぐぞ〜😊

いかに気分と健康を保って生きていくか。
ハイヤーセルフはエゴの対極にあるものとされているけれど、最も良い形に育った最も強烈なエゴの姿とどう見分けられるというのだろうか。

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