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忙しいとかではなく 7/3朝


西武線の乗り換えにも慣れてきて、
段々とその日暮らし以上の事に手がつけられるようになってきた。
珍しい時間割のため、土曜日の授業を捨てれば週の3日だけ大学に出向き、あとは休みという誰が見ても暇な大学生のスケジュールだ。もちろん、この4日のうち1日でもバイトを10時間やるなどの活動もしていない。それにも関わらず、何故かこの3ヶ月は一瞬で過ぎ去ったし、まだ制服を来て東横線に乗ってた頃のような憂鬱が身体の至る所に染み付いてる。所謂鬱病は治った(?)が、その実感が憂鬱の生産を止めるわけではなかった。

新生活の不快と不安の正体はなんとなく目星がついてるが、それは箇条書きにすればこの上なく退屈なものになると思う。
二年前から変わらぬ憂鬱の原因をあげるなら、時間を守れないだとか、やることが多いだとか、自分の怠惰が24時間の寿命をじわじわと削っている具体例が殆どだ。
こんなこと例を上げたらキリがない。

今これを書いている環境だって、
朝家を出る直前に1年前のTシャツを引っ張り出そうとしてたらイタリア語の授業に遅刻することが確定した練馬駅だ。

月曜一限のイタリア語は真面目に受けている
が、遅刻欠席で落単してもおかしくない。
また、このような授業が他にも3つある。
適当に過去問を入手して勉強すればテストの点によっては単位は取れるだろうが、
わざわざ授業料を払ってもらってるのに
そんなことをしてもう一度学び直せるチャンスを捨てるのは愚かだな、と思う。

などと、駅から教室までの間に背骨を曲げて書いていたが、教室を開けてみるとそこには誰も居なかった。休講の連絡は先週の時点でされていた事を思い出し、誰も居ない教室で独り言以下の発声をしている。こんな日々だ。

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