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本当の夢日記(24/7/10 朝

友達が皆死んでしまったが、普通に会えたので遊びに行った時の夢

ニバと遊んだ次の日のニバが死んだ、ガミの家に行った次の日にガミが死んだ、栗原もそう、鳥キチも死んだし、鈴木福もそう、ライカニキも死んだ、あきも飛行機オタクもしんだらしい
どうやら全員自分とあった次の日に死んでいる、おれは死神か何かなのか。
しかし死人とおれは連絡が取れた。いつものように軽率な誘いのLINEをする。友達が1ヶ月でみんな死んだというのに、おれは普段より憂鬱な気持ちではなかった。ドライブ行こうぜ!とLINEする、死人が来るかは賭けだったが、とりあえず車を出すことにした。まず栗原が乗った、声も聞こえたし、実体があるように感じた。でも少しでも現実を見たら全てが消えてしまいそうだったから、なるべく視界のピントを合わせないようにしていたし、話し方も異様なテンションの高さだったと思う。車の中では色んなことを話した。なんで死んだのか、遺品のカメラ貰っていい?とか、死後の世界どんな感じ?とか。案外死んだ後も楽しそうな栗原を見て、おれは結構安心した。遺品のgfx50rは俺が貰うことになった(現実では所有していない)

 堤防が水平線まで続く夕暮れの海へついた。その堤防は上が草原みたいになっていて、夕焼けで金色に輝く稲穂は、生命の力を感じさせるようだった。おれは栗原が生きてた時のように携帯を取り出し、自撮りしようぜ!と言う。これは賭けだった。映らなかったらどうしよう、この瞬間全てが消えたらどうしよう、という不安の中、その不安を破壊するための証拠として、我々を繋いだ写真というメディアを使うことにした。結果は写っていた。
「お前死んだのに写ってんじゃん!!ww」
と写ってるか確認も曖昧なまま携帯を閉じた。写っていると信じるべきだった。帰りはアクアラインを歩いて帰ることにした。

鳥キチガイに会った。こいつは死んだ後も飄々としていて、本当は生きてるだろと思っていた。中高時代遊び尽くした俺の地元で会うことになった。パン屋の前で倒れた自転車を起こす。
「なぁ、死後の世界も普通にこんな感じの社会なのか?」
どうやら基本的にはそうらしいが、少し勝手が違うらしい、小さなバタフライエフェクトが重なった、所謂パラレルワールドみたいなものだと、彼は語った。例えば、円はなく通貨はポンドだし、ドル本位制ではなく人民元本位制だった。こっちの世界の常識というか、仕組みを死ぬと少しづつ忘れていくらしい。たまに居る前世の記憶のある子供なんかは、それの忘却システムのバグみたいなものだと言う。そうしてネットで聞きかじったような薄い金融知識も一緒に披露し終わった頃、倒れている自転車は一つも無くなった。こいつが死んでいることが一番信じられなかった。実体もあったように感じる。それでも一瞬、万が一これが俺の幻覚だった場合、周りの人に狂人と思われないため、イヤホンで会話している体を装おうとした時もあった、辺りには高校の帰りに見たような夕焼けが、南武線の波打った金属で乱反射していた。

 鈴木福とあきに会った。
今度は都内を車で走っていた。新宿の複雑なジャンクションをはしゃぎながら抜け、大通りの渋滞に巻き込まれたところで、会話が始まった。
「ここ1ヶ月で俺の周りの友達5人くらい死んでるんだけど俺って死神? 」
みたいな、人の訃報をTwitterで話すようなエピソードトークに昇華しようとした。そこで皆が死んでしまった訃報を大方思い出すことができた。皆心臓発作とか交通事故とか、トイレの中で倒れてたとかだったと思う。共通の友達が死んでいたので、彼の話をすることにした。しかし同乗の彼らは共通の友達に会ってはないようで、死後の世界も広くて、個人の境界線が存在しているのだなと思った。あきは普段授業前に話すような口調で、死後の世界について話してくれた。
「案外何も変わらない、別に大層な事だと思わなくていいと思うぞ」と。
概ね死人は皆そんな死生観だった。そのくせ少し寂しそうな顔をするのだから、矛盾しているようにも感じる。その時対向車線からマリカーに乗ってる女友達が手を振ってきて、死人の彼らが俺以外にも見えているという安心感が芽生えた。それ以降道行く人や対向車から手を振られることが増えて、不気味だが面白がってドライブを遂行した。結局新宿のロータリーで意味もなくターンして、近くのしゃぶ葉に行くことにした。トイレ行くから下ろしてくれと誰かが言ったが、死人におしっことかないだろ と無視してアクセルを踏んだ。葬式会場に突っ込んだ、皆居た。死んでいたのは俺だった。



(考察)
本当の夢日記なので全て話として荒い。
多分、度重なる自殺念慮と、孤独を恐れる気持ちを元に作られたと推測する。この夢世界ではおそらく俺は自殺で死んでいて(棺桶の自分の首の傷がついていた気がする)、でも認知の歪みによって死を知覚できず、友達が死んだ事にした。そういう夢だったと思う。登場する情景は、おそらくなにかの原体験を元に構成されている。堤防は幼少期の釣り、地元は中高時代の追憶、ドライブはここ最近の楽しかった記憶と結びついた体験だろう。あと、自分の夢の世界では、微笑む人と手を振る人が頻繁に登場する。これが夢の中で起こる唐突な場面転換や出来事の発生を絡むことで、寝ている時の妄想が、妄想フォルダではなく、記憶フォルダに間違えて保存される要因だと考えられる。
今日は一日中銭湯で寝ます、もう誰も俺を止められない。

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